会長&スタッフブログ
カテゴリーアーカイブ
2024.10.01
タイ バンコク企業視察研修(2024.9.8~13)
2017.12.24
中国大連見聞録
皆さんお久しぶりです。イッセイです。
さて、11月19日~22日の3日だけですが、中国の大連に行って参りました。
2017.11.29
イッセイの近況
皆さんお久しぶりです。
実は放置していた2年半の間に色んなことがありました。
不在でしたが同年9月には予定どおり「専務」に昇格しました。
社員全員でアベノハルカスに昇り、道頓堀をクルージングしました。
先代只野一位の妻です。
元旦に親戚全員が集まってるときに「なんか体がしんどいな~」と言って、1月5日に亡くなってしまいました。
92歳でした。
おばあさんは長年、我が実家の近所で一人暮らしをしていたのですが、年に1回親戚全員が集まってる中での体調不良でした。
これがもし正月でなければひっそりと孤独死してた可能性大です。(孤独死の定義は色々ありますが)
夏だと死後2時間で腐り始めるそうです。
それを考えると奇跡の亡くなり方です。
最高の死に方でしょう。
私はそう思います。
人の幸せというのはどのような「生き方」ではなく、どのような「死に方」をするかで決まるのではないかと考えさせられました。
孤独ではなく、家族に囲まれながら死にに行く。
私もおばあさんのような最後を迎えたいと思いました。
(在りし日のおじいさんとおばあさん)
冗談抜きで死にそうになりました。
その模様は次回のブログにてお伝えします。
チームも抜けたので、一人で市内をパトロールするくらいです。
2015.06.21
ハイキングジェットファイア
皆さん、お久しぶりです。
私、イッセイはバイクのチームとは別に【ジェットファイア】というチームの代表をしております。
そんな人生終わりかけのどうしようもない集団が最近ハマっているのがハイキングです。
名づけて「ハイキングジェットファイア」!
今回はそんなド素人達が手探りで挑んだハイキングの模様をお伝えしたいと思います。
その前に・・なぜハイキングなのか。
何よりありがたいのはこんなアホな企画に乗っかってくれる仲間がいるということ。
●第1回 ハイキングジェットファイア 七種の巻 (2015年4月11日)
七種山と書いて「なぐさやま」と読みます。
全体像はこんな感じです。
ん?なんじゃありゃ
アヒルとカルガモによる関所のようです。(実は帰りも・・)
初ハイキングでテンションMAXIMUMの私です。
そして終わりにコスモもぶっ壊れるという・・
皆さんもハイキング是非チャレンジしてみてください。
2015.03.17
太陽と埃の国で 後編 (フィリピン日系企業視察の旅 2)
さて、お待たせしましたフィリピン日系企業視察の旅 後編です。
本編は車とバイクのことについて書いていきます。
まずは自動車。
ここからはひたすらフィリピンを駆る自動車の写真を貼り付けていきましょう。
フィリピンで人気のタイプはやはりSUVやピックアップ車。
せっかくですから今回お伺いさせていただきました自動車メーカー様(トヨタ様、いすゞ様)のフィリピン市場での展開をザクッと紹介していきましょう。
●トヨタ
●ヤマハモーターフィリピン
ベトナムと同じくなんとフィリピンにもコピーバイクが存在するらしいです。
ヤマハモーターフィリピンでの車種展開は現在15車種。
さて、フィリピン日系企業視察の旅いかがだったでしょうか。
やはり問題点として最初に思い浮かぶのは治安。
そして、最大の問題点は「もっと自分の国を良くしたい」という信念が薄いのではないかという点。
フィリピンに栄光あれ。
イッセイ
2015.02.09
太陽と埃の国で 前編 (フィリピン日系企業視察の旅 1)
さて、皆さんお久しぶりです。
実は意外なことに1960年代のフィリピン経済の好調っぷりは東南アジアのなかでも突出していたようでして、アジア全体で見ても国民所得は第2位、その上にいるのは日本だけだったということです。
今回、フィリピンのありのままの姿を見てきましたので、それをお伝えしたいと思います。
フィリピンの再興は目前なのか・・!
時差は日本より-1時間です。
国語・公用語はフィリピン語(タガログ語)ですが、第二公用語として採用されているのは英語です。
お金は【ペソ】。
●生活水準
●教育
しかし、そんな簡単な計算も出来ないのかとフィリピン人をバカにすることは出来ません。
●豊富な労働資源
一方で失業率は政府の統計によりますと7.1%という数字が出てきますが、実質には20%を超えているという説もあり(ジェトロでの概要説明から)、雇用の安定が今後の課題でもあります。
●フィリピン人の労働観
●治安問題
気長にお待ちくださいまし。
イッセイ
2014.12.31
腕白の超大国(アメリカ日系企業視察の旅) 2
さて、皆様お久しぶりです。
GMC・シエラ
フォード・F
そしてトヨタ・タンドラ
この2台は本当によく見ました。
さて、アメリカの自動車ディーラーはとても規模がデッカいです。
ハーレー以外はやはり日本車がかなりのシェアを占めています。
●アメリカの労働事情
さて、この度、日産自動車様(スマーナ工場)へ訪問させていただいた際に、質問した内容はこちらです。
「どのように」とは外資系メーカーの自動車を自分たちの国で作った場合、その車は「外車」に見えるのか、それとも「アメ車」に見えるのかという素朴な疑問です。
おまけで「トヨタに対しても同じ感覚なのか」と訊きましたら
2014.12.01
腕白の超大国(アメリカ日系企業視察の旅) 1
さて、皆さまお久しぶりです。
・㈱ジェイテクト様(油圧ポンプ等)
アメリカは泣く子も黙る自動車の巨大市場ですから、そこに根をはる自動車部品関連の企業様には是非とも行ってみたいと思っておりました。
●アメリカの単位
ここまではナッシュビル、ノックスビルです。
続いてニューヨーク。
そしてニューヨークといえば摩天楼。
おまわりさんといっしょ。
フルレストアされた綺麗な初期型のマスタングが数台と、部品取り車、レストア中のマスタングがありました。
イッセイ
2014.09.23
愛国のゲルマンスピリット(ドイツ現地企業視察の旅)
皆さんこんにちは。
なかなか興味をそそられる内容です。
摩訶不思議でした。
今回はKLM航空にてアムステルダム経由でブレーメンまで行きました。
★ドイツの名物
ハンブルグの【ミニチュアワンダーランド】です。
誰でもテキトーな所で学んでテキトーなところに就職出来るのかと思いましたが、この制度は非常に厳しい仕組みになっているようで、30歳を超えても「無資格・見習い状態」という人も少なくないとのことです。
今回様々な企業で責任者の方々から色んな説明を聞きましたが、そういった彼らの「誇り」は言葉の節々に表れていました。
工場のマネジメントという点においては日本のほうが進んでいるんだなと思います。
★自動車とバイクのお話
やはり自動車の国ドイツ、街でよく見かけるのは体感的にフォルクスワーゲン、オペル、メルセデス、アウディ、BMW、MINIと圧倒的にドイツ車が多いです。
気になる日本車はというと、体感的に5%くらいかな~という感じでした。
めちゃくちゃ見た!というわけではありませんが、日本車の中でもそれなりの台数を目撃したという意味で挙げられるのはマツダのロードスター。
東欧の低価格カー【ダチア】も何台か見ました。
ドイツでは教習所というものがありますが、日本の教習所のように校内に道路というものはなく、実技はもっぱら公道になります。
さて、写真で見るドイツのバイク。
多いのはやはり日本車。
BMWのバイクは1969年から現在まで、今回訪問したベルリン工場で一貫生産されています。
もしBMWバイクのオーナーでしたらやはりあのようなシーンを見ますと、より一層愛情が深まるというものです。
一部、キムコ(台湾)からエンジン部品の供給を受けているとの話がありましたが、どの部品のことなのかはわかりませんでした。
物質的、技術的な部分がいくら発展しても、文化的な部分が育たなければ自動車産業の未来は決して明るくはならないでしょう。
★ゲルマンの愛国精神
【ヨーロッパでメルセデスの価格が最も高いのは実はドイツと聞いたがそれは本当か?また、ドイツ人はその事実を知っても特に怒ることはない、なぜなら自国の製品を愛しているからだと聞くがそれも本当か?】
価格が高くても純粋な愛国精神に基づき自国の車を選ぶ・・!なんという素晴らしき国民性でしょうか。
一応、いただいた答えを書いておきますと
ただ、他のヨーロッパ諸国より価格が高いということに関してはまったく否定しなかったです。
ここからはあくまで私の仮説です。
次回は9月15日から1週間行って来ました【アメリカ日系企業視察記】です。
イッセイ
2014.07.21
情熱の革命児 2 (ベトナム日系企業視察の旅)
皆さんお久しぶりです。
さて、ベトナムでお邪魔した、我らがエースコックベトナムのくだりですが、なぜにここまで放置状態になったかと言いますと・・・実はあれだけ大好きだったインスタントラーメンをスパッとやめてしまったからです。
同時にこれまた毎日欠かさず食べていた白米も玄米に切り替えました。
というわけで、このままラーメンレポは終了!
・・・というのはさすがにお粗末な対応と言われかねませんので、現地のホテルで食べたり、日本に持ち帰ってから食べた何種類かのタイプを紹介していきたいと思います。
その前になぜ私がエースコックベトナムへの訪問を楽しみにしていたのかと言いますと、ラーメン好きであるというのは当たり前ですが、一番の理由はその昔テレビで紹介されていたから~というありがちな理由からです。
(エースコックベトナムは20分あたりからですが・・途中飛ばせません)
今回はベトナムのインスタントラーメン事情や食べレポなど色々とお話ししましょう。
●ベトナムのインスタント麺と日本のインスタント麺の違いについて・・・
さて、ベトナムと日本のインスタント麺を比較すると決定的に違う点があります。
なぜなのか、とても気になったのでエースコックベトナムの担当者の方に伺ってみました。
さて、ここからはイッセイのインスタントラーメンレポです。
★HAOHAO(ピンクバージョン)
★YUMMI
続いてはこちら。
★ベトナムにおけるエースコックとその他メーカーの現在とこれから
そして日本でインスタントラーメンの金字塔といえば日清カップヌードル。
たしかに、日清のインスタントラーメンのパッケージを見ますと、まず最初にデカデカと書かれた会社ロゴが目に飛び込んできます。
イッセイ
2014.03.27
情熱の革命児 1 (ベトナム日系企業視察の旅 )
はい、行ってきました。
・㈱フジキン 様
今回は割りピンに関わりのある企業様はあまり無かったのですが、私個人的な理由で言いますと、ちょうど3年前、初ベトナムを経験した折に目の当たりにしたベトナムのバイク・自動車事情が今現在どのように『進化』したのかをこの目で見たかったというのが一番の理由であります。
ベトナムのGDPは約1300億ドル。一人あたりの年間所得平均は約1400ドルで世界平均の15%にも満たないほどのレベルです。
ベトナムの魅力はその平均年齢の若さです。
★ベトナムのお金
1USドル = 100円
・・・わかりにくいです。笑
★ベトナム人と労働
ベトナム人は寡黙で受け身です。
あと、ベトナムの女子はよく働きます。
★ベトナムの名物風景
ちなみに今回一番爆笑した無茶バイクがこちら。
こちらはベトナムで大人気の車種 ホンダ【エアブレイド125】。
そして250cc以上は滅多に見ることがありません。
さらに雲上バイクでは、ハーレーダビッドソンを1台と日本製スーパースポーツを2台見ました。
このように怒涛の勢いでバイク市場が成長しておりますので、予想よりはるかに短い期間でベトナムのバイク台数は飽和状態になるだろうと言われています。
ベトナムでシェアバトルを繰り広げるビッグ2のホンダとヤマハですが、現在、部品の現地調達率は金額ベースで9割以上と言われています。
あまりイメージがわきませんが、ベトナムでは自動車の生産も行われています。
新車販売台数は10万台前後と、タイの1/15程度の規模です。
先に言いましたとおり、現在、ASEAN地域からベトナム国内に自動車を輸入する場合50%の関税がかけられていますが、なんとこれが4年後には0%になります。
これはどういうことかと言えば、つまり高い税金がかかるのを承知でわざわざベトナム国内に部品を輸入してベトナム国内で自動車組み立て・生産をしている自動車メーカーが、タイやインドネシアから完成車を輸入するほうが無税で安くつくというということで、2018年までにベトナムから工場を引き上げる可能性があるということです。
ただでさえ自動車部品メーカーが貧弱で現地調達が困難なベトナムなのに、そこに加えて高い税金を払ってベトナムで自動車を生産するメリットなどもはや皆無です。
ベトナム政府は早急にこのひずみを修正しないといけないでしょう。
しかし、ベトナム政府が自動車をこれ以上増やしたくないという気持ちも分からなくはないです。
自動車産業の優遇政策でアジアのデトロイトとまで言われるほど成長したタイ、かたや同じくチャンスがありながら海外資金の呼び込みに失敗しその後20年ほど低成長を続けることになったフィリピン。
以上、ベトナムレポート終了です。
次回はおまけ編。
気長にお待ちいただければ幸いです。
ではでは。
イッセイ
2013.12.29
タイ日系企業視察の旅 (おまけ カンボジア編)
さて、後編は最終2日間に訪れたカンボジアのことを少しだけお話したいと思います。
それとタイで手に入れた少し変わったお土産もご紹介します。
今回はおまけ程度の内容です。ご了承ください。(笑)
さて、今回のカンボジア視察(ほぼ観光)についてですが、滞在時間が短くタイ視察後のおまけほどにしか思っていなかったので、基本情報はほとんど調べずの入国でした。
カンボジア通貨は【リヤル】ですが、USドルや一部タイバーツでの支払いも可能です。
首都はプノンペン。
さて、今回のカンボジアのメインとなったアンコール遺跡の見学について書きたいと思います。
このようなすばらしい建造物にもかかわらず、1970年代には共産主義勢力のクメール・ルージュによって寺院内の彫刻や仏像は悉く破壊されました。
さて、あらゆる世界遺産訪問の中でもこのアンコールワットほど感動したことは今までありませんでした。
朱印船に乗って明を経由し、陸路をひたすら歩き、ようやくこの地にたどり着いた森本はアンコールワットの『沐浴の池の跡』の柱に墨で落書きを残しました。
寛永九年正月初而此処来生國日本
おおまかな内容を言いますと、
寛永九年正月とありますから、西暦でいうと1632年になります。
この地を目指した森本の想いを、苦難の連続を、そして聖地が眼前に現れた時の感動を想像しながらその落書きに触れていますと、涙が出てくる思いでした。
しかし、この地が天竺だろうが南天竺だろうが、先祖の魂を供養するという信念のもと苦難を乗り切りこの地にたどり着いたという行動に深い意味があるのだと私は思います。
年代にはバラつきがあるものの、当時アンコールワットを訪れた日本人は森本以外にも数名いたようです。
時を越えて同じ国からやってきた日本人として異国の地の同じ場所に立つ。
皆さんよくご存じのワールドワイド版レッドブルと違う点を挙げていきますと・・。
左・元祖タイオリジナルレッドブル 中・ワールド版レッドブル タイ仕様 右・カンボジアオリジナルレッドブル(シュガーフリー)
まず、無難に【レッドブル】です。
こちらはレッドブルよりはるかに有名なあの炭酸飲料です。
そしてこちらは赤いマークの炭酸飲料のライバル【ペプシコーラ】!
これはケンタッキーフライドチキン(KFC)の店舗に必ず立っているあのおじさんの顔のように見えますが・・。
世界一有名なイギリスのバンド。
そしてレッドブ・・・
さて、2013年ももう終わりですね。
今年も色々とお世話になりました。
皆様よいお年を!
2013.11.24
タイ日系企業視察の旅
さて、皆さんお久しぶりです。私です。
私自身タイ訪問は今回で2度目です。
あとそれから・・・
タイで11月といえば乾季にあたるのですが・・・今回珍しく雨に打たれました。
さて、前回のレポートはタイで見た自動車やバイクのことを中心に町の風景や国民性のことについて書きましたが、今回はタイの自動車事情についてもう少し掘り下げた内容を書きたいと思います。
てか、ほとんどそれがメインなんですが・・。
投げ出さずにお付き合いいただければと思います。
さて、タイの街を見ますとまず気づくのが日本車の多さです。
タイと日本車の縁は割りと歴史があります。
さて、バンコクの街中で走っている自動車の中で、特に多いのがピックアップ車両。
しかしなぜにそんなにピックアップ車両が多いのでしょうか。
実はタイではピックアップ車両が税金面でとても優遇されています。
タイでは昨年、新規自動車購入者(初めて自動車を買う21歳以上のタイ国籍者限定)に対して税金還付を行いました。
ちなみにタイにも自動車の【車検制度】が存在します。
ガソリンはレギュラーで1L90~100円くらいです。
では交通機関のことにも少し触れておきましょう。
まず【タクシー】。
しかしこのピンクタクシーの色・・・
続いて今タイで頭角をあらわしてきているのが【バイクタクシー】です。
あと、タイにも【路線バス】は存在します。
さて、去年の暮れにタイで大々的に報道された自動車ニュースは【税金還付制度終了のお知らせ】だけではありません。
さてさて、何度も申しましたが本視察レポートですが・・タイ最終日にデジカメを落としてしまいましたので、いつものように街の風景を見ながらのタイの日常をお届けすることができません。
折角ですから視察に直結したマジメな話でもしましょうか。
さて、タイ人ワーカーの給料ってだいたいどれくらいだと思われますか?
タイ人の仕事のスキルはどうか。
気長に待っていただければと思います。
それでは~
イッセイ
2013.10.21
お茶の思い出
通称「古田のおばちゃん」が定年で会社を去りました。
私がお客様を姫路駅まで迎えに行っている間に、最後の挨拶に来て冒頭の写真のものをそっと置いて帰ったそうです。
中はクオカードでした。
会社の古くを知る人が去っていくことは、やはり寂しいものです。
カップジュースの自販機を目の前にしてイッセイ少年は地面を転げまわってダダをこねていました。
小学校の低学年くらいの頃のお話です。
「よっしゃ。おばちゃんがお茶いれたろ」
と言って、事務所の奥で湯を沸かして緑茶を淹れてくれたのが古田のおばちゃんでした。
しかし、冷たいジュースが飲みたいイッセイ少年は緑茶を一口飲みこむなり
「熱い~!こんなんイヤや~ジュースジュース~」
と、アホみたいにダダをこねるばかりです。
食い下がる古田のおばちゃんは
「あ~熱いんか。ゴメンやで。ちゃんと冷ましたの入れたるからな」
と、言ってもうひとつ、同じ湯飲みを奥から持ってきました。
「イッセイええか?お茶をな、コレに入れたり移したりしとったらじきに冷めるさかいな。今からおばちゃんが冷たいお茶飲ませたるでな」
と、言って、湯のみを両手に持ち、エンヤコラエンヤコラと右の湯飲みにお茶を入れては、左の湯飲みに移し替え~という曲芸を披露し始めました。
イッセイ少年は「おばちゃんスゲエ!」と、泣くのをやめその芸を凝視していましたが、湯飲みのフチは丸く茶の切れが悪いのか、やればやるほど机がお茶でビタビタになっていくのです。
「イッセイ、お茶冷めたで、飲みや。」
と、差し出してくれた湯飲みには・・半分くらいしかお茶が残っていませんでした。
それでも、お茶がキンキンに冷えているものだと思ったイッセイ少年は嬉しそうにお茶を口に含んだのですが、もちろん期待しているような「冷たさ」になっているわけでもなく
「熱い~!こんなんさっきと同じお茶や~!ジュース~!ジュースが飲みたいよぉおお~!!」
と、また泣きわめくのでありました。
結局、母親にジュースを買ってもらったのかどうかの記憶はありません。
少年にはお茶のインパクトのほうが強かったからでしょう。
わかっていてもなぜか寂しいものです。
2013.08.31
晴れ時々ペチカ (ロシア企業視察の旅)
さて、行って参りました。
今回も大阪府工業協会様に色々とお世話していただきまして、6月の末から7月の頭にかけて約1週間強ですが、異国の地ロシアを堪能してまいりました。
地理的にはロシアも立派な「お隣さん」なんですが、なぜかあまり馴染みが無いというか、我々日本人には【近くて遠い国】という感じがします。
実際、テレビなんかを見ていましても、ロシアが画面に映る機会って少ないと思いませんか?
私、ほとんどテレビでロシアの風景見たことないんですが・・。
ロシアと聞いて我々日本人が抱くイメージとはどんなものでしょうか。
・国民は全員気性の荒い人間ばかり。
・街はどんよりと薄暗い。旧ソビエト時代に建てられた赤レンガのボロボロの家がそのまま放置されている。見るべき歴史的建造物はほとんどない。
・凶悪事件が多発するデンジャーシティ。夜中の徘徊は厳禁。日本人とわかるといなやドルフ・ラングレンみたいな大男にど突かれて裸にされる。
・・スミマセン。言いすぎました。笑
でもこれ、ロシアに行く前の私の率直なイメージです。
皆さんはどうでしょうか?
大なり小なり程度の差はあるでしょうが、ロシアに対して良いイメージを持っている方はかなり少ないと思います。
今回、ロシアを視察して私が肌で感じたのは、ロシア人は日本という国をかなり好意的に見ているということでした。
シベリア抑留や北方領土問題などの政治的なネガティブイメージばかりが先行しすぎており、それがロシアの真実の姿をかき消しているのは間違いないです。
今回は、私がこの目で見てきたありのままのロシアの姿をウソ偽りなくお届けしたいと思います。
歴史的なことや政治的なことを書くと、そこから前に進まないと思いますので思いっきり割愛させていただきます。笑
もちろん、車やバイクのことはたくさん見てきましたのでそのあたりを重点的に惜しみなく書いていきたいと思います。(てか、ほとんどそれがメインなんですが・・)
ロシア見聞録はじまりはじまり~
【ロシア連邦】
人口は日本よりやや多く約1億4300万人。
国土は世界一広く、なんと日本の45倍という巨大さです。
首都はモスクワ。人口は約1100万人。
ロシア第二の都市はサンクトペテルブルクで人口約500万人です。
ロシア帝国時代はなんとサンクトペテルブルクが首都だったそうです。
ロシアの人口はウラル山脈より西側にほとんど8割方が集中しています。
シベリアあたりはインフラ整備も遅れがちだったようですが、近年になってロシア政府も東の方へ人が流れるような政策(インフラへの投資や補助金支給)を打ち出したため人口が徐々に増えてきており、ハバロフスクやウラジオストクでは現在ではどちらも5~60万人ほどの人が住んでいるとのことです。
(我が姫路市の人口と同じくらいです。)
ロシアの前身は1236年のモスクワ大公国からはじまりました。
歴史の変容と共に都市の名前も変化してきたのですが、これは近隣諸国との戦争や、ロシア国内の内戦などで情勢が常に不安定だったという歴史の証です。
【平和】や【安泰】というものは「戦争反対~!」などと旗を振り回しながらボケーッと立っていて得られるものではありません。多大な犠牲があってその上に成り立っているものです。だから尊い。
さて、私が知ってるロシア史における有名人は・・・ピョートル大帝、ロマノフ(王朝)、
イヴァン1世~、アレクサンドル1世~・・
こんなとこです。
歴史上の人物以外では・・フョードル・ドストエフスキー(小説家)、エメリヤーエンコ・ヒョードル(格闘家)、あとテトリス好きとしてはアレクセイ・パジトノフも欠かせません。笑
近代史におけるロシアのイメージは第一次大戦以降にドイツ相手にドンパチしながら土地の奪い合いを演じた血の気の多いイメージが強いです。
わが国とは大日本帝国時代に一度大きな戦争をしており(日露戦争)、第二次大戦後から現在に至るまでは依然として北方領土問題を抱えております。
ロシア側は話し合いでの解決に積極的な姿勢を示していますので、一刻も早く円満解決の方向に持って行きたいところです。
前置きはこのくらいで・・。
たしかに冬になると平気で摂氏マイナスの気温になります。
今回訪問したサンクトペテルブルクでも冬になるとマイナス30度にまで気温が下がります。
しかし、今回訪問した期間は6月下旬から7月上旬。
ロシアではもっとも暖かい季節になります。
正直言いますと、滞在していた1週間・・・メチャクチャ暑かったです。
長袖なんか一枚も要らないくらいに暑かったです。
寒かったら凍えてしまう!と思って持ってきたユニクロのダウンジャケットですが、まったくもって必要ではありませんでした。
必要なさ過ぎて捨ててやろうかと思ったほど暑かったです。
この日中の暑さが夜になるとちょうどよい気温になるわけでして、極寒のイメージしかないロシアにおいては今が一番過ごしやすい季節だったのではないかと思います。
さて、ロシア人の生活全般についても書いておかなければなりません。
まずロシアでの平均給与はどのくらいか。
これは都市部と地方では若干差があります。
ロシア全土での平均月収は約25,000ルーブルです。
現在のレートでは×3をすれば日本円に換算できます。
つまり日本円で月収75,000円ほどになります。
これが首都のモスクワでは平均で約43,000ルーブルとなり、日本円に換算すると129,000円となります。
もちろんこれはあくまで『平均』であり、貧富の格差が存在するのもまた事実です。
物価は高いです。
正直言いますと、ほとんど日本と同じくらいの水準です。
もしかしたら日本より高いのではないでしょうか。
サンクトペテルブルクではケンタッキーフライドチキンに行きました。
小ぶりの骨付きチキン5個、Mサイズポテト、Lサイズコーラのセットで250ルーブルでした。
日本円に換算すると750円ほどします。
現地の所得水準からすれば相当高いように思うのですが・・。
そんな『高級』な店であるにもかかわらず若者の姿がかなり目立ちます。
ペプシコーラは普通の350ml缶サイズで30ルーブル。
日本で安売りしている場合、5~60円で売っているようなところもあるのでやはり高いような気がします。
謎の『武士道コーヒー』ですが、これも下位グレードで400ルーブル。
高いですね。
消費税は日用品・生活必需品で14%。
それ以外の贅沢品は18%となります。
前述のケンタッキーでの消費税は18%でした。(外食だからかな?)
ほとんどお金がかかりません。
あと、アパート。
モスクワには『国営アパート』というのがあります。
わかりやすく言えば、これはソ連崩壊時に国が国民に対して与えた激安アパートです。
社会主義体制になったときに国が国民から土地や建物を奪い取ったことへの「お詫び」ということになるのでしょうか。
家賃は1LDKの大きさで月に3000ルーブル。
しかも電気や水道が壊れたらその修理費も国が全部を負担してくれるというオイシイ物件です。
他人に譲渡すれば莫大な税金がかかる&激安賃貸権が失効するようです。
ただし、親が死んで子が受け継ぐことはなんら問題がないので、親からの「財産」として受け継がれているのが現状のようです。
もちろん、モスクワ市民の全員がこのようなアパートを所有しているわけではありません。しかし、家賃に関してはピンキリですが、日本より低く抑えられるのは間違いないようです。
ちなみにモスクワ市内の土地はすべて国有地だそうです。
(個人、または企業は「国から借りている」というになります)
写真を見ていただければお分かりになると思いますが、非常に活気に満ち溢れています。
冗談抜きでロシアのイメージが一気に変わりました。
今回、モスクワ、ヤロスラブリ、サンクトペテルブルクと主要都市を視察したわけですがどの都市に行っても、想像していたような赤レンガのボロい建物などはほとんどありませんでした。
しかもどこに行ってもゴミがほとんどありません。
それどころか街全体のスキのない造りこみ、完成度に圧倒されまくりでした。
建物ひとつひとつの造形が無駄にカッコイイ・・!
街のいたるところで見られる騎士の彫刻や建物に施されたレリーフなど、さすが一時代を築いた大国だけあって今もその威厳は色褪せず現代に残されています。
モダンと伝統の融合においてはさすがとしか言いようがありません。
正直、下手なヨーロッパに行くより断然ロシアのほうがいいと思いました。
また街以外にも、大聖堂や美術館など歴史と直に触れ合う場もたくさんあります。
ロシア、ちょっとナメてました。
おそロシア・・!
そしてロシア人について。
実はこれも私は大きな誤解をしていたようです。
前述しましたとおり、ロシア訪問前の私の中での「ロシア人観」はとんでもないものでした。
粗暴、凶悪、ケンカ最強・・。
日本人が一人で街を歩いていると必ず追いはぎに遭うと思っていましたし、なるべく目をあわさないようにしようと心がけていました。
愛想のなさはたしかに散見されましたが、それでも言うほどヒドくはありません。
日本人でも愛想のない人間はたくさんいますし・・本当にそんなレベルです。
薄暗いローカルなレストランに行ったときも白熊みたいな従業員が丁寧にトイレまで案内してくれましたし、スーパーマーケットに行ったときも買ったものを入れる袋がわからずうろたえていたら後ろで待っていたロシア人が自分の代わりに袋を取ってくれたりしました。
また、他の方はおみやげ屋さんで間違った(少ない)つり銭を受け取りそれにまったく気づかず店を出ようとしたらしんですが、直前で呼び止められて足らずのつり銭を渡されたということらしいです。
他にもそういった「意外」な場面に出くわしましたが、そのたびに自分の中でのロシアのイメージが間違っていたと痛感いたしました。
素朴な疑問・・ロシア人は日本人をどのように見ているのか。
実は現地駐在員の方や、ガイドさんのお話を聞いたところ、ロシア人というのは日本人をかなり【リスペクト】しているとのことです。
さすがに嘘ではないかと疑っていたんですが、どうやら本当のようです。
街にあふれる「日本車の多さ」が何よりの証拠です。
あと、全般的にロシア人は日本製のモノに関してはかなりの信頼を置いているとのこと。
ガイドさんの話が本当かどうかはわかりませんが、ロシア製の物と日本製の物があれば、日本製の物を選ぶ人が多いでしょうとのこと。
(家電か自動車かそのあたりはよくわかりませんが・・)
やはり日本(人)のイメージとしては
『ハイテク』
『高性能』
『勤勉』
『マナーが良い』
・・おおむねこんな感じのようです。
コレは素直にうれしいですね。
私はてっきりロシア人というのは日本人を見つけたらカツアゲするのかとばかり思っていました。
ええ、全然違いました。すみません。笑
あと、日本食も密かなブームだそうです。
モスクワやサンクトでは寿司(もどき)のレストランを何件か見ました。
あと、小売店で見たのは日本の調味料です。
日本からの輸入品だと思いますが、日本で売ってる外装のまま売られていました。
どういう料理にどう使うのかは興味がありますね。
さて、この写真。
サンクトペテルブルクで撮った写真なんですが、日本ではまずあり得ない光景なんです。
何がかと言いますと、実はコレ・・・夜10時の写真です。
そうです。
6月下旬といえばロシアでは百夜なんです。
陽が沈むのが夜の11時くらいで3、4時間後の午前3時頃にはすでに空が明るいという怪現象が発生しておりました。笑
基本的にレストランやクラブなど若者が集まる店は朝まで営業しており、大変にぎやかです。
我々も負けじと明け方まで頑張りました(笑)
本旅で特にお世話になった春山さん(中)と井上さん(右)と中坪さん(写真撮影・・)
ありがとうございました!また海外視察ご一緒できればいいですね。
ではでは、お待ちかね。
街行く原動機のコーナー。
まずロシアでの自動車事情について概要を少しお話しておきたいと思います。
2013年現在、ロシアの年間自動車販売台数は約300万台・・をやや超えるあたりです。
ロシアの消費動向は原油・エネルギーの販売価格によってかなり影響を受けやすいと聞きます。
実際に、リーマンショック前には異常なほどの伸びを見せた自動車販売台数ですが、リーマンショック後の2009年には前年度の1/10に転がり落ちたというデータもあり、非常に乱高下が激しい市場でもあります。
自動車メーカーの方いわく、2014年のロシアのマーケット動向はズバリ「わからない」とのことです。
ロシアでの外国車メーカーのシェアは約74%。
ロシアでもっとも有名なローカルブランドといえばアフトワズ社が展開するLADA(ラーダ)です。
このアフトワズのLADAを含め、大小のロシアローカルメーカーが20年以上前には50%以上のシェアを占めていたんですが、現在は20%ほどまでシェアを落としています。
ちなみにこのアフトワズですが、2012年12月にルノー・日産の傘下にはいりました。
外国車のシェアをもっと詳しく書きますと・・
LADAの次にシェアが大きいのが韓国ヒュンダイで約5.6%。
日系の主なメーカーですと、トヨタ約5.1%。日産約5.0%となります。
シェアだけを見ますとバカなマスコミがよく言う韓国車の勢いが云々~というようなことを思われてしまうかもしれませんが、金額ベースで比べれば上級セグメントまで網羅している日系メーカーのほうがダントツで勝っています。
他の外国メーカーで特によく見たのがオペル、フォルクスワーゲン、フォード、ルノー、キア、でしょうか。
他にも日系ではホンダ、マツダ、スバル、意外にもスズキが健闘していたように思います。
日本の中古車はかなり多いです。
高級車では日系のレクサスを筆頭に、ベンツ、BMW、インフィニティとかなりの数が走っていました。
少数派はポルシェやジャガー、アストンマーチン等、多彩なラインナップを目撃。
1台だけですが、ランボルギーニのガヤルドも見ました。
ちなみにどんな車種にかかわらず、ロシアで一番人気のボディカラーはお分かりになりますか?
答えは【黒】です。
理由は『太陽光を吸収して車内が暖かくなるから』だそうです。
ガソリンは1リッターあたり約30ルーブル。
日本円で100円弱となります。
モスクワで見たガソリンスタンド【ウンコオイル】・・・。
さて、ここでロシアの変わった交通ルールをご紹介。
まず、街の車を見て気づいたのが、どの車も昼間なのにライトをつけている点です。
ロシアでは車を走らす際には必ずヘッドライトをつけなければならないそうです。
つけていなと罰金です。
安全のためでしょうか。
手動でつけているのか、イグニッションONで自動的に点灯する仕様になっているのかは不明です。
あと、事故です。
ロシアでは事故を起こした際に警察を呼ぶのですが、なんと警察が現場に到着するまで車やバイク等の【事故車】を動かしてはならない法律があるそうです。
動かすとこれまた罰金。
これが実は渋滞の一因にもなっています。
どんな街中でも警察が来るまでひたすら放置ですから正直、かなり迷惑だと思います。
しかも、警察署の近くで事故を起こした場合はすぐに駆けつけてくれますが、警察署から距離が離れている場合はひたすら待たなければなりません。
下手すると2時間待ちとかもあるようです。
これ、今の季節ならいいんですが、真冬の極寒だとどう対処するんでしょ。
警察来るまでに凍死する可能性もないような気がしますが・・。
続きましてバイクです。
ロシアを訪問する前は「寒いところにバイクの市場なんかあるわけないか・・」と半ば、バイクに関しては【諦めモード】だったんですが、いえいえ!とんでもない!
ロシアにもたくさんのバイクが走っていました。
これもかなり想定外の光景でした。
今回、ロシアのバイク事情に関しては詳しい情報は得られませんでしたので、詳細なデータはございません。
あくまで私の見聞のみでございます。
ビッグスクーター、ネイキッド、モタード(オフロード)、デュアルパーパス、アメリカンクルーザー、そしてスーパースポーツ・・等々かなり多彩な車種が活躍していました。
シティコミューターとしては小型のスクーター(多分125cc前後)も活躍しているようです。
もちろん日本製バイクが圧倒的です。体感9割は日本製でした。(海外勢はBMW、ハーレーダビッドソン、ドゥカティ・・とひととおり走っていました)
日本から中古車として輸入されたであろう「お下がりバイク」もチラホラ見ました。
ロシアにおいてはバイクは「アシ」というより、完全に「趣味」の要素が強いようです。
基本的にはカスタムしたバイクが多かったです。
しかも荒ぶるバイカーが多いようで、サンクトペテルブルクのイタリアンレストランでまったりくつろいでいた時も、目の前にある6車線の国道には爆音マフラーを換装したスーパースポーツがやたらめったら走っていました。
完全に【走り】に振ったバリバリのカスタム車両も見ましたし、街を走るバイクの台数、車種の多さ、バイクに対する考え方などは日本におけるバイク事情とかなり似ているような印象を受けました。
ヤマハのウォーリアに乗っている私としては大変にうれしい光景でございます。
ちなみに純ロシア製のバイクといえば【ウラル】ですが・・・ロシアでは一台も見ませんでした。
最初にも書きましたが、今のロシアは気温がかなり高いです。
日本の気温を5℃引いたくらいの気温です。
バイクで走るにはかなり心地よい気温であることは間違いありません。
ただ、1年をとおして乗れるシーズンはかなり限定されるとは思います。
ロシアにおけるバイク市場の拡大は、新興国のような所得云々という次元での話ではなくもう一歩先の【新規ユーザーの開拓】【既存ユーザーの囲い込み】が課題となってくるのではないでしょうか。
さて、最後に今回訪問させていただいた現地の日系自動車メーカー様のお話で驚愕したことがありましたので、それをお話したいと思います。
現地工場では【X】(仮名)という車種を製造しています。
この【X】は、もちろん日本でも製造しており現役車種であります。
ロシアで製造しているこの【X】はエンジンを含め部品の約3割を現地調達、残りの部品を日本やヨーロッパから輸入して組み立てているという、いわゆるノックダウン生産の自動車です。
日本では200万円で買えるこの【X】(純日本製)ですが、現地ノックダウン生産の【X】はロシアの地ではいくらで販売されていると思いますか?
なんと100万ルーブル・・・日本円で約300万円です。
そう、純日本製ではない【X】ですが、日本で売っている価格より高いのです。
ビックリしました。
とっさに「そんな価格で出して売れるんですか?」と訊いてしまいました。
マネージャーの方は即答で「ハイ。売れます」との答え。
価格競争率は非常に高いとのことです。
これはその車種に限ったことではなく、日系メーカーの車種全般に言えることのなのだそうです。
日系メーカーが作る車種はそれだけ絶大なる信頼を得ているということです。
思い起こせば4年前・・私は日本から遠く離れたドバイの地で体感シェア7割が日本車という光景を目の当たりにしました。
灼熱のアラブ・・自動車の故障は「死」に繋がります。
ロシアもまた同じです。
マイナス30℃の広大な土地で車が故障すれば・・生身の人間は死にます。
死なないにしろ命にかかわります。
極限の地において何に価値を見出すか・・ロシアとアラブ、対極の極地で日本車が支持されているという現実はある意味でもっとも価値のある【名誉】と言っても過言ではありません。
ロシア人さん、これからも日本車を御贔屓に。
さて、ロシア見聞録いかがだったでしょうか。
ほんのちょっとロシアに対するイメージは変わったのではないでしょうか?
ヨーロッパと北米の良いとこ取りという感じで、旧共産圏の薄暗い雰囲気はまるで感じられなかったです。
行く前の印象と行った後での感想のギャップで言えば、歴代行った国の中ではダントツで良かったです。
しかし、我々日本人のロシア観がなぜにこうも悪いのか、色々考えた結果・・・
やっぱり『ロッキー4』の影響なんじゃ・・と思ったのは私だけでしょうか。
物事は噂やイメージだけで判断するのではなく、自分の目で直に確かめることがなにより大切だということを改めて感じた次第です。
機会があれば日本の中古車が幅を利かせているハバロフスクやウラジオストクなどロシア極東地域にも行きたいと思います。
これにて、ロシア見聞録終焉です。
ご清聴ありがとうございました!
モスクワ 赤の広場クレムリンにて。(『クレムリン』とは特定の建物を意味するのではなく『城塞』という意味だそうです。
撮影―㈱マエガワモールド 前川さん Thankyou!)
2013.08.21
夜明けのインディア 後編
いや~・・・
実は仕事のトラブルでブログどころではなかったというのが言い訳です。
もうこのまま後編が立ち消えになるのではないかというくらいに、それどころではなかったです。
そんなことを言っている間に、実は6月の末から7月にかけてこれまた大阪府工業協会様企画の【ロシア日系企業視察】に行ってきました。
本当に大忙しです。
もちろんインド編の次はロシア編が控えているわけで.... 簡潔ですみませんが、とりあえずインド編最終回です。
さて、インドのバイク事情ですね。 それに絡めて、前編、中編では書けなかったこともまとめて書いていきたいと思います。
中間層が爆発的に増え、自動車の数が増えつつあるといっても、やはりインドの町で見かけるのは車よりバイクの数が圧倒的に多いです。
悪路が多い広大な土地を自転車で移動するのはさすがに距離的、体力的に限界があります。
自動車は年収の何倍もするからとてもじゃないけど手が出ません。
電車はいつ何時、駅に到着するかわかりません。
なので、インド人が最初に目標とするのが【バイク】です。
途上国で『バイク』といえばだいたい100cc前後のタイプをさします。(50ccは日本以外ではまったく見ません。)
これがインドではだいたい7万円くらいします。
現地一般ワーカーの所得から算出しますと、おおまかですが、給料の6か月分に相当します。
おいそれと手が出るものではありませんので、もちろん月賦でバイクを買うわけです。つまりローンです。
バイクを手に入れたら、より給料のいい所へ、より遠くまで足を伸ばすことができます。 豊かになるための第一歩はバイクから始まるということですね。
さて、インドのバイク事情をもう少し視野を広げて見てみましょう。
そもそもインドにはアシ用のバイク以外存在するのか・・と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実際のところどうなんでしょう。
実は、インドにもまだまだ小さいですが、『アシ以上』のバイク市場というものはちゃんと存在します。
例えば、今回訪問させていただきましたホンダ様を例に出してみますと・・
ラインナップとしては110cc、125cc、150cc、250ccという4種類の排気量を生産しています。
メインで製造しているのは110ccと125ccになります。
趣味的要素が濃いラインはというとやはり150cc以上。 【CBR150R】が約18万円、【CBR250R】が約23万円だそうです。
ます。
そしてそのCBR250Rとは少し趣が違いますが同じカテゴリーとして競合するのが、【ロイヤルエンフィールド】です。
さすが、生まれ故郷だけあってインドではそこそこの数を目撃しました。
インドでは(というか、世界共通?)300ccと500ccのラインナップがあります。
インドの街を俳諧している時に、小型二輪とは一味違う歯切れのよいサウンドが聞こえたならばそれはまさにエンフィールドといって間違いないでしょう。
日本では珍車扱いでほとんど見ることはありませんが・・なかなかイイ味出していました。 価格帯はホンダCBR250Rと同価格~それ以上と高めとなります。
さすがにロイヤルエンフィールドともなるとボコボコの状態で乗っている人はほぼ皆無で、小奇麗な装いの小金持ち風なライダーが多いように感じました。
ではさらに「上」の超高額バイクはどうでしょう。
実は本視察でダイキン工業㈱様に訪問するその道中で、ハーレーダビッドソンのロゴがデカデカと書かれた巨大な倉庫らしき建物を発見しました。
「おお!!こんなところにハーレーが・・!(笑)」 ハーレーダビッドソンといえば泣く子も黙る高級バイクの代名詞です。
至ってローテクなV型二気筒のエンジンから放たれる独特の排気音と荒削りなエンジンの鼓動感に魅了されるファンは世界中に存在します。
しかし・・・日本でも100万円以上するようなリッチなバイクがインドで走っているんでしょうか。
私がいる間はインドでハーレーは1度も見ませんでした。
しかし、インドにもハーレーはあるんですね。 例えば日本でもおなじみの【スポーツスター】なんかはすでにインド国内で組み立てされています。
この現地組み立て方式は、完成品を本国アメリカから輸入した場合に比べ、関税を30%~40%低く抑えられるようでして、ハーレー社は今後もインド現地組み立ての車種を増やしていくとのこと。
今後は周辺の途上国などにもインド製(組み立て)ハーレーが輸出されていくのでしょう。
近い将来、インド製ハーレーが日本市場にやってくるかもしれません。(それはそれでなんか違う気がしますが・・)
ちなみにインドにおける大型二輪(750cc以上)の市場はまだまだ未熟で、販売台数も2012年の4月~9月期を見ましたら805台と、人口比率からすればとても小さなものです。
しかし、先にも言いましたとおり成長率がもの凄く、2012年の伸び率は前年比77%という驚異的なものです。
これから先、成長率はうなぎのぼりになるのは言うまでもありません。
この市場拡大に乗り遅れまいと、前述のハーレーしかり、日本のメーカー、ドイツ(BMW)、イタリア(ドカティ)と、次々にインド市場に本腰を入れつつあります。
また、イギリスのトライアンフも活性化するインド市場を取り込もうと人気車種の【ボンネビル】を販売する計画だそうです。
これがいわゆる『インド仕様』というもので、二輪や自動車で共通していえることなのです。
例えば、樹脂やゴム系の部品においてはコストダウンを図るために品質を厳しく管理していません。 真冬でも0℃を下回ることがないインドでは対候設計を日本より「ユルめ」に設定して製造しています。
わかりやすく言えば、日本仕様では「-40℃~100℃」という幅広い温度帯に耐えたれるように設計されているパーツを、インド仕様においては「0℃~100℃」で設計されているということです。
こういった「現地にあわせた仕様」が商品単体のあらゆるところにちりばめられ、コストダウンにつながっているのです。
そりゃもちろん、見た目が日本のものとまったく同じ車種であっても・・断然日本製よりかは品質は劣ります。
しかし、途上国の人にとって車の故障は日常茶飯事。
壊れたら自分で直すのが基本です。
ちょっとした故障などあまり気にしないのがインド人です。
2012年の日本国内の自動車販売台数は536万台(軽自動車含む)でした。 一方、二輪の新車販売台数は250cc以下のすべての区分を併せても40万台弱という数字です。
単価においては圧倒的な価格の差があるのにも関わらずです。
この数字を見るだけでも、ここ日本においては単なるアシ用として二輪を買う人などほとんど限定的だといわざるを得ません。
先進国において自動車は価格的に【高嶺の花】ではないですし、安全性、積載性、身体的負担を考えても自動車1台を買ったほうがよほど実用的です。
「バイクが趣味だ」といえる人というのは世界広しといえども実はとても少数派。 先進国の、しかも限定された人といっても過言ではありません。
逆に言えば、それ以外の人はほとんどすべて「バイク=移動用のアシ」という人たちになります。 ここの層をいかに攻めていくかで、市場のパワーバランスが決まるといっても過言ではありません。
やがてその国の人々がアシ用バイクから趣味的バイクに移行したとき、過去の結果がいきてくるでしょう。
「俺は昔からこのメーカーのバイクが好きなんだ」と。
インド人の傾向として、実は車にしろバイクにしろ最新のモデルに飛びつくという例は一般的ではなく、5年・10年と安定して人気がある車種を選ぶ傾向にあるそうです。
ここがインド市場を攻める上で非常に難しいところで、1年や2年の短期間ではなかなか現地のニーズに合っているかどうかという判断がしづらいということです。
『安くて高品質だがブランド力が弱い』と言われる日本のメーカーはこのインド市場の特性をよく理解した上で、安定したブランド力を確立していかなければなりません。
その代わり、一度育った芽は確実に大きくなります。 インド人のように焦らずゆっくりと育てることが重要です。
インドは歴史が古く、その長い歴史のなかで形成され昇華してきた独自の文化・習慣が現代においても根強く残っています。
それが良いことに働くこともあれば、負のほうへ引っ張られていくこともあり、これがインドにおける【諸刃の剣】になっていることは間違いありません。
インドが先進的な国を目指すのであれば、負の部分については一つ一つ変えていかなければなりません。 それらを実行し、変えていくのは他の誰でもないインドに住む人々です。
あらゆる課題をすべて克服した時、インドの夜明けは今より一層輝きを増すことになるでしょう。
以上、イッセイのインド見聞録、これにて終焉です。
ご清聴ありがとうございました。
8月中にアップすることをお約束します(笑)
2013.04.07
夜明けのインディア 中編
皆さんこんにちは。
実は、花粉症と呼吸困難でもはや死に掛け寸前です。
もうすぐ、帰国して1ヶ月が経つではないかと・・。
自分のウスノロさ加減に嫌気がさしたところで、あとは各記事を切って張ってつなげて~写真を載せて~の作業だったらできるではないかと思い、なんとかこの中編を完成させることができました。
今回は【車】を中心にお話を進めていきます。
さあ~イッセイがインドで見てきた車事情はどんなものだったか!
インド視察記 中編~はじまりはじまり~
まず最初に、お金の表記について書いておきたいことがあります。
先に行く前にここで、インド人が一ヶ月に得る賃金のベースを決めておきましょう。
● 中堅日系企業勤務、ライン作業従事、キャリア4年目、30歳、月給20,000円(11,500ルピー)。
物価はこれまた「約」ですが、だいたい日本の1/8くらいだと思っていただければいいでしょう。
国別の新車販売台数ランキングを見ますと
1位 中国
・・ということで、ドイツが陥落し、ついにインドが5位入賞です。
さて、インドでの乗用車市場のシェアNo1はどのメーカーだかご存知でしょうか。
この【マルチスズキ】が約40%のシェアを誇り、それに続くのは地元インドの【タタモータース】と韓国【ヒュンダイモーターインディア】で、この2社がだいたい15%ずつのシェアを持っています。
ここインドにおけるマルチスズキの存在感は圧倒的です。
アルト
トヨタ車・・・・エティオス、イノーバ(ともに新興国戦略車)、カムリ(泣く子も黙るトヨタ最強の世界戦略車)
ホンダ車・・・・CITY(新興国向け。昔日本で走ってたあれとはまったく違う)
ミツビシ車・・・・ランサー(新・旧)、アウトランダー
高級外車はどうでしょうか。
ドイツ製高級外車に関しては体感的には【BMW】が多かったような気がします。
ちなみにインドにおける高級車の輸入関税は75%。(800cc以上の二輪車には60%)
そしてインドの街でひときわ異彩を放つこのクラシックカーはなんでしょう。
ヒンドゥスタンモータースの地元、コルカタではまだ多数走っているそうです。
なんと・・・!現役生産車(笑)
あと、2009年に10万ルピー(175,000円)という激安価格で登場し、世界中を驚かせたタタモータースの【ナノ】はインドのいたるところで・・
実はまったく走っていませんでした(笑)
ちなみにインドの「ザ・国民車」ことスズキの【マルチ800】ですが、これが約38万円からのお値段です。
インドの自動車産業の道は1970年代後半、インド5代目の首相 インディラ・ガンジー氏の【国民車構想】政策により開拓されました。
それ以前、1970年代よりはるか昔の1930年代から実はインドではGMとフォードがノックダウン方式にて自動車生産を行っていました。
小型で燃費がよく品質の安定した自動車を作りたい!というインディラ首相の指示のもとインド政府は、当時、高品質な乗用車の輸出でアメリカ政府を半泣きにさせていた日本の自動車メーカー各社に対してインド進出を打診しました。
それがスズキだったのです。
1982年、インドの腐った自動車産業にスズキが斬りこみを敢行していきます。
しかし、1991年、インド政府が経済開放政策に切り替えたことによって『マルチ ウドヨグ帝国』に変化が起こります。
高級外車を相手に豪快な割り込みを敢行できるのもスズキの歴史が成せる業・・!
まさに小さな巨人。
新興国を中心に現在【超低価格車】というものが存在感を増してきています。
自動車作りは日本のお家芸です。
もう少し頑張れば一番下から一番上まですべての層で日本は活躍できます。
東南アジアでは今でも日本車のシェアが8割を超える地域もあります。
ピンチ、ピンチといわれる日本企業ですが、まだまだ有利な立場であることに変わりはありません。
しかし、今から30年先、世界の自動車勢力図は今とは大きく違うものになっていると私は思います。
インドの次は南米でしょうか。
そしてその次はアフリカでしょうか。
そして、世界中の人々が【中間層】に移行した時、その先にはどのような市場が待ち受けているのでしょうか。
私のような凡人には想像もつきません。
例によって気長にまったりとお待ちいただければと思います。
ではでは~
2013.03.16
夜明けのインディア 前編
さて、今回は大阪府工業協会様の企画【インド 工場&市場視察研修】に行ってまいりました。
貧富の格差、カースト制度の名残、民族間でのあらゆる障壁・・インドにはさまざまな問題がありますがそれらを丸呑みにしながらひたすら猛突進しています。
初日に南のチェンナイに降り立ってから3日目には飛行機でデリーまで移動。
・㈱ヨロズ 様 (自動車用サスペンション、その他関連部品)
以上、5社です。
本ブログでは見学させていただきました個々の企業様についての詳しい報告はしません。
現地ガイドさんや、各企業様で聞かせていただきました現地の習慣や特徴などを総合的に書いていきたいと思います。
あ、自動車・バイク関連については当社も大いに関係ありますし、個人的な趣味も絡んでおりますので、そこだけは見た・訊いたの内容も大きく絡めて書きたいと思います(笑)
さて~、イッセイはインドで何を見てきたのか~!
イッセイのインドテキトー見聞録はじまりはじまり~!
国土は日本の面積の約8倍です。
州をまたぐとまったく違う言葉が話されることもあり「インドはひとつの国にしてさまざまな国が存在する」とまで言われます。
人口に占める各宗教の割合はヒンズー教が約80%、イスラム教が約15%、他、少数派の宗教としてはキリスト教、シーク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教の信者がいます。
本旅の現地ガイド、シャシーさん(以下、頻繁に登場)いわく「どんな都会や地方に行ってもスゴイ商売をしているのはジャイナ教の人」だそうです。
ジャイナ教。日本ではほとんど聞かない宗教です。
まず【富裕層】。
続いて【中間層】。
そして【貧困層】。
そして、インドの驚異的な経済成長とともにこの所得に大きな変化が起きているということも忘れてはなりません。
では、インドにおける生活基盤のインフラ全般はどんなものなのでしょうか。
まず【水道】。
↑こんな感じで対向車線との間にはわけのわからないスペースが不等間隔で展開されております。
そのまま何キロか進んでいるとバリケードがあった元のレーンに戻ることもあれば、さらに外側の別の道に進むこともありなんだかよくわかりませんでした。
トラクター。
例えば「こんな街中には現れんだろう」とボケーっと窓の外を眺めていましたら・・
話が少しそれますが、ヒンズー教徒は牛を食べないのは皆さんご存知だと思います。
しかし、そこまで『お牛さま』を丁寧に扱っているのかといえば、特にそんな雰囲気もありませんでした。
そして【電話】。
では、実際の仕事場においてはどうなのか。
カーストと5Sにまつわるエピソードがあります。
あと、意外にもインドには派遣会社もあるそうです。
さて、まだまだ長くなりそうですね。
前編はここで終わりです。
イッセイが見た・聞いたの話が主体となりますが、寝る間も惜しんでこの目に焼き付けてきたインドの光景です。
また、今回ご訪問させていただきましたホンダ技研工業㈱インディアの方にもたくさんお話を聞かせていただき、またこちらからは色々と質問や要望をお願いさせていただきましたので、そのことについてもお話したいと思います。
ナマステ~!(ちょっ・・それあいさつ)
イッセイ
2013.03.02
イッセイ企業視察の旅 第三夜 タイ編
さて、皆さん。こんにちは。
2013.02.28
イッセイ企業視察の旅 第二夜 上海編
ハイ、みなさんこんにちは。
当社も割ピンを製造している立派な「マニュファクチャー」ですので見に行かない手はありません。
とりあえずはご安心ください。
我が社の割ピンと、その他新興国生産の割ピンの品質の差は歴然です。
新興国の割ピンは、言ってしまえば【穴に入ればよい】レベルです。
当社の割ピンと比べて、どれほど品質の隔たりがあるのかと言いますと、例えば自社のホームページ上に平気で腹ぶくれの割ピンを掲載しているようなレベルです。(これはおそらく、キャリア巻きの半丸線をクセ直しをせずにそのまま成型しているからだと思います。)
「穴に入る割ピン」レベルならまだマシなほうで、箱を開けたらゴミが混入しているとか、「基本的に脚のネジレは自分で直して使うのが前提」など、あり得ない話を耳にしたこともあります。
ちなみに腹ぶくれ割ピンなど、当社では検査の段階で『不適合品』として廃棄するものです。
では、余裕綽々でかまえておればいいのかといえば、決してそうではありません。
ネジやボルトがそうであったように、途上国だと見下していた国がいつの日か日本製割ピンと同レベルの物を作って日本に乗り込んでくるかもしれません。
来たるべき日のために防衛線を張るべく現地を調査しておこうという、いわば敵地視察なのです。
私は平成の小野妹子となって煬帝(ようだい)に国書を叩きつける覚悟で行って参りました。
2階と3階がファスナーの展示会場になります。
なんと机で弁当を開けてその場でメシをほおばっております。
その後は、工場を見学させてもらいました。
そこで見たのは・・
想像してたよりも格段にレベルの高い設備・・!
思ってたよりも格段にデッかい設備に圧倒されました。
さて、ネジ関連の話は一旦置いといて、現地で見たこともここに綴っていきたいと思います。
あと、都会的な高層ビルは多いですが、街そのものはどんよりと小汚いです。
つづいて自動車・バイクです。
ドイツ車4:日本車2:中国車2:アメ車1:フランス車0.5:韓国車0.5
という感じでした。
続いてバイクです。
おもちゃ屋にはホンダのCBRやスズキのGSX他、ドゥカティやハーレーのプラモデルが売られていました。
最後に、冒頭の上海ファスナーエキスポを視察して感じた事を。
正直な感想を言わせてもらいますと、ネジ関連の生産はもはや完全に新興国の【お家芸】になってしまったといってもいいでしょう。
もはや「作っていれば買ってくれる」という時代はここ日本においては過ぎてしまいました。
今回の上海視察を経験し、もう一度、原点に返って「日本らしいものづくりとはなんぞや」ということを真剣に考えなければならないと感じた次第であります。
以上、イッセイの上海見聞録でした。
イッセイ
2013.02.27
イッセイ企業視察の旅 第一夜 ベトナム編
皆様、お久しぶりです。
この度の世話をしていただくのは大阪府工業協会様です。・・スミマセン。私そちらでセミナーや技能講習を受けたこと一度もないんですが・・(笑)
「どなたでもかまいませんよ」とのお返事をいただいたので、頑張って行ってまいります。
この目で見るものすべてを今後の旭ノ本金属に活かしていきますよ!
正直、何の役にも立たない内容ではありますが、私がこの目で見て感じたことをそのままストレートに書いていますので、市販のガイドブックには書かれていないリアルな見聞録になっていると思います。
肩肘張らずにお付き合いください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【ベトナム視察記】
2011.3.3 ~ 2011.3.6
なぜ行ったか、目的は何か。
実は、姫路機械金属工業会50周年記念の特別企画で「姫路の企業の現地ベトナム工場の視察に行きませんか?」という計画がありまして、「田路さんも参加しませんか?」とお声をかけていただいたからです。
結果から言うと非常にいいものを見させていただきました。
新興国の人間がサボらず真面目に働くのかと半信半疑だったのですが、正直言いますと「日本人以上にまじめに働いているではないか!」と感じた次第です。
目からウロコ、非常に感心させられました。
ですので、本ブログではベトナム滞在3日間で見たベトナム人の生活や習慣を書きたいと思います。
さて、この【ベトナム社会主義共和国】ですが、・・行くちょっと前まで知りませんでしたが、名前のとおり社会主義国家なのです。
ベトナム男児の人生の重要な柱は「1・2・3・4」。
1 は1人目の宝である妻。つまり「結婚」
2 は妻以外2番目の宝である「息子」
3 は3階建ての「家」を持つこと
4 は4つのタイヤ。すなわち「車」を持つこと
・・だそうです。
1と2はさほど難しくないと思います。
実は3と4がすさまじく難易度が高いです。
まず3の「家」。
なんと平均3000万円だそうです!!
日本円に換算してこの価格です!
日本のそこらの家より高いです!
我々日本人の貨幣価値から換算しますと20億円くらいの感覚でしょうか。
ちなみに1室レオパレス大のアパートを借りるのにかかる費用は月に30万円だとか。
シャレにならんゾ~。
なぜにそんなに土地が高いのかと言いますと、簡単に言えば土地バブルだからです。
4の「車」。
さて、最後はベトナム人の「アシ」と交通マナーです。
バイクを「趣味」として見る余裕はまだないようです。
日本は400ccなどという世界で孤立したガラパゴス規格で普通二輪免許という区分を設けており、庶民の「アシ」である原付も同様、50ccなどというガラパゴス規格で抑え込んでおりますが、世界の「アシ」は125ccが主流というのは世界のバイク事情に多少詳しい方なら常識だと思います。
続いて交通マナーです。
どんなもんか・・とりあえずコレを見てください。
ノーヘル、片ポッケスタイルから、スペシャル過積載は当たり前。
ケータイで話しながら走行する者や、メールを打ちながら走っている猛者までいます。
2ケツは合法ですが、3ケツは違法です。
なんと4ケツの豪傑まで存在しました。
他にも歩道走行、逆走、信号無視・・等々、バイクを使ってこの世で実行できることのすべてを見たような気がします。
しかし、そこに暮らす人々はパワフルで活気に満ち溢れています。
ベトナムは戦争の後遺症で今でも北(ハノイ)と南(ホーチミン)であまり仲良くないようです。
しかし、まだまだ延びしろは未知数だと思いますし、潜在能力は測り知れません。
街をバスで走っている時、見える民家のほとんどで国旗が立っていました。
どうか足を引っ張り合わずに手を取り合ってベトナムという国を大きくしていってもらいたいと思います。
2012.12.04
株式会社 旭ノ本Tシャツ工業所
皆さんお久しぶりです。
あの・・言っておきますが社内ユニフォームではありませんよ!
街着です。そう!ストリート対応のファッションTシャツなのです。
どうですか!間違いなく世界初であろう「割ピンTシャツ」です!!
だからこそその【隙間】に価値があるわけでして、「よし、やってやろうじゃないか!」と火がついてしまい、出来上がったのがこのこだわりのTシャツです。
普通の割ピンだけ並べても面白くないな、と思いまして今回、特殊割ピンさんにも多数登場していただきました。
当たり前ですが、この特殊品はすべて当社のラインナップです。 一般ユーザー様はおそらく目にされたことがない割ピンばかりではないでしょうか。
実は当社はこんな「変な」割ピンも製作しているんです。フフフ(笑)
ちなみにラフ画を元にデザイナーさんにデザインをおこしてもらったのですが、波型割ピンのコブの盛り上がりにこだわりすぎてそこだけ修正のオンパレードでした。
挙句の果てには「イラストではわからんので実際の図面をください」とまで言われる始末です。
本当にスミマセンでした~!!
小ロットなので結構な値段したんですが・・。
個人のバカげたお遊びに全力で付き合ってくれる友人がいるってのは~幸せなことですね。
感謝!
次回ロットはバイク乗車時のバタつきを軽減させる方向で、もうちょいガッツリ生地の6.2オンスで製作してみようかと思います。
また気が向いたら第二弾も企画したいと思います。
ではでは~。
イッセイ
2012.08.14
載りました(笑)
8月 11日発売のミスターバイクBG 9月号の【愛の絶版車生活】のコーナーに私が載っております。
2012.04.25
近況報告
のらりくらりとマイペースを貫いていましたら、ついに独身のまま30歳に突入してしまいました。
近所に1個18円でコロッケを売っているスーパーを見つけまして、二日に一回はそこのコロッケにお世話になっている次第です。
どうかそのまま値上げしないでください。
これがなくなったら私死んでしまいますので・・。
築2年ほどですので非常に綺麗です。(この部屋は私で2オーナー目だそうです)
この缶です。当社工場の中にある製品・機械・部品・備品すべての物の中でも最も古いモノではないかと思います。
創業当時、当社がリングトラベラーを製造していたということは沿革にも触れておりますが、そのリングトラベラーを輸出する際に”小箱”として使用していたと思われるのがこの鉄の缶です。
当社は黎明期に社名が2、3度変わったのですが、その最初の商号がこの缶には記載されております。
昭和59年に旧本社のあった日ノ出町から現在の花田町に移転してきましたので、基本的に設備や重要書類以外の備品関連なんかはゴッソリ処分されたハズなんですが・・この缶だけは奇跡的に【予備ヒューズ入れ】として使命を与えられ、そのまま棚の奥で数十年生きながらえていたようです。
ちなみに1930年代~40年代前半の物だと思われます。
当社の軌跡を語るうえでは欠かすことのできない大変貴重な資料です。
現存するのはおそらくこれのみだと思いますので、大切に保管しておきます。
2012.01.30
ケータイマナー考察
私には、ケータイショップ(a社)で店長を務めている友人がいます。
結局、
・・・だって「スマートフォン」ですよ?
スーツをパリッと着こなしている丸の内のホワイトカラーが使いこなすっていうなら「サマ」にはなりますが、私のような手が油まみれの現場人間の立場では、偉大なるスマートフォン様の画面に触れることすら憚られます。
ちなみに今の機種は3年近く使用しています(笑)
さて、前置きが長くなりました。
電車に乗っている最中にケータイに電話がかかってきたとします。
しかしです。
不思議だと思いませんか?
「何人も電車内では無言に徹すること」というような法律があるわけでもないのに、ケータイに出ることが悪になる理由などないと思うのですが・・。
なぜそうなってしまったのでしょう。
まず、携帯電話普及期に車内であったこの放送・・
「携帯電話のご使用はペースメーカーの誤作動を引き起こす恐れがありますので、電源をお切りくださいますようお願いします」
聞き覚えがあると思います。
しかし、通常の使用において、ケータイの電波で心臓に埋めてあるペースメーカーが誤作動を起こすなどということはまずあり得ないないということがわかりました。
ここで一つの「歪み」が生じました。
毎日毎日電車で通勤するお父さんを例に・・
しかし・・!
車内でケータイに出られベラベラ喋られるとイラッとします。
なぜでしょう。
ここからは私の単なる憶測です。
イライラする理由、それはズバリ、「第三者目線では、それが会話として成立していないから」だと思います。
実はウォークマンが出たての頃に、今述べました【車内ケータイマナー事情】に似たようなことを体験したという方がいらっしゃいました。
ケータイの話にしろ、ウォークマン話にしろ結局は
余談ですが、車内で【ゲームボーイ】をするのもマナー違反だと考える人もいるようです。
「これ、電池で動く文庫本なんですよ」
ちなみに外国では、電車内でも飲食店でもケータイは当たり前のようにみんな使っています。
私が知る限り「公共の場で電話を使ってはダメ」なんて言ってる国は日本しか知りません。
ケータイの機能が特化しすぎて世界の舞台ではまるで通用しないという日本のケータイ機種。
特異な進化をとげた日本のケータイ事情を諸外国では「ガラパゴス諸島」と呼んでいるそうです。
実はマナーにおいてもガラパゴス的な要素が垣間見える日本のケータイ事情です。
今回はそんな日本独自のケータイカルチャーについて私目線で語ってみました。
ではでは。
イッセイ