会長&スタッフブログ
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2023.08.13
02 出戻りの話
今年の1月に、かねてより念願であったBMW2002をインターネットオークションで落札しました。
今ではかなり貴重な、BMW2002 1970年代前半のいわゆる初期型丸テールで、しかも右ハンドル車でした。
落札価格は、そこそこ手をかけても十分な金額、だったはずでしたが。。。
陸送でやってきた02、一目で、こりゃーオレの手にはおえんぞなー、という相当ヤレた車でした。
私の、ざくっとした感覚ではナンバーを取って普通に走らせるのに150~200万くらいはかかりそうな。。。
ああー、部品取りでも持っていればなー。。。
オークションなどで車を落札するのは現車確認が当たり前ですがな。 いくら車のある場所が遠方だとしても。
それを怠った私が悪かったのです。
しかし、すぐさま出品者に、車の説明書きと実車の程度の違いが大きすぎて、ご法度を承知の上で車の返却と、相応額の返金を要求しました。
紆余曲折、艱難辛苦、 幾度かの出品者とのやり取りの末、この度半年ぶりに関東まで帰って行くことになりました。
思えば昭和59年頃、姫路の、とある自動車屋さんから02の丸テールを譲ってもらったことを懐かしく思い出しました。
タダでいい、と言われたので、ほんの菓子折ひと箱で御礼をしたという、昔の話です。
諸事情により、その車は公道を走ることなく保管することになり、復活することはありませんでした。
あれからもう40年か!
そしてこの度の02も復活せず。。。02には縁がありませんわ。
2023.08.08
イラストNO、116 伯備線を往くDD54
蒸機時代には、D51の三重連が走るということで、ここ布原は有名な撮影地でしたが、信号所を出発した列車の力行が見られる場所として大人気のスポットでした。
一方DD54は新製以来、故障が頻発して工場に出たり入ったりの不評はありましたが、山陰本線、福知山線、播但線、そして短期間ながら伯備線でも使用され、陰陽連絡道の輸送に一役買いました。
このDD54、調子のよい時には “ビューン!ガツン!” DD54ダッシュとでも言うのでしょうか、非力なDF50には無い、力強い出発シーンが見られ頼もしいものでした。
伯備線で使用されていたDD54は、山陰本線で20系寝台特急「出雲」の牽引などにもあたり、それなりの活躍の場でもありましたが、DD51の進出に伴い静かに姿を消しました。
イラストは蒸機時代の末期昭和46年、35系客レを牽引して布原の第23西川橋梁を渡る37号機の雄姿です。
2023.07.07
RT55という車 その②
RT55に乗り出してから3週間。
梅雨の晴れ間を見て150Kmくらいの距離を走りました。 まだ様子見の段階ですから遠くには行けません。
いつもの足慣らしのコースを辿るくらいですが。
ソレックスとDOHCエンジンとの相性は良く、3000回転ほどになると快音を響かせるのは気持ちのいいものです。
もっとも、1速と2速の頭打ちが早く、4速では物足りない感じです。 GT5であればどんな感じなのでしょうか。
RT55は生産台数が2222台ということですが、GT4とGT5との比率はどれほどだったのでしょう。
ちなみにRT55の5速ミッションは、かのトヨタ2000GTと共通ということで、考えようでは大したもんです。
さて、そのGT4の4速ミッションですが、日産の旧車とは違ってストロークが短く、ギアチェンジは想像していたよりもシックリいく感じですし、クラッチのつながりもスムーズです。
そして何よりもヒール&トゥのし易いペダルの位置設定ですから、思わず必要の無いヒール&トゥをしてイチビッています。
近場でのテスト走行が終われば、いよいよ片道100Kmくらいの高速道デビューといきたいところです。
ETCを付けなければなりませんね。
その次は重ステのパワステ改造、助手席側のパワーウインドウ化、おっと、それよりも距離計不動を何とかしなければ。。。
まだまだ、泥沼に片足のつま先を入れたくらい、でしょうね。。。
2023.06.20
RT55という車
大昔から手に入れることが出来れば、一度は乗ってみたいと思っていたトヨタ車がRT55でした。
RT55と言っても、一般の人には何のことだかわからんのですが、車好きの人なら、「ああー、コロGか。」となります。
マニアの間では「コロG」と言ってはいけないそうですが、RT50コロナのハードトップがベースになっていますから仕方ないところですね。
理屈っぽい話は別にして、このRT55は “トヨタ1600GT” という車です。
私がブログネタにするのは、この度RT55を購入したからですが、いくら欲しかったと言えども昭和42年製の、今から56年も前の車ですから一筋縄では行かないぞ、と思いながら。
さて、私がこの車の購入を決めて茨城県まで引き取りに行ったのが4月中旬です。
紆余曲折、姫路に持って来てからは、とりあえず公道を問題なく走れるレベルまで整備する、ということで、いつもお世話になっているボディーショップシミズさんに委ねることになりました。
覚悟はしていたのですが、車は表から見えないところが怖いです。 で、この車も色々と。。。ありましたね。 いやいや、過去形ではなく現在進行形ですが。
それでこの15日に、とりあえず、のところはクリアしたつもりで乗り出すことになりました。
だましだまし、という域を出ない走行がしばらく続きそうですが、DOHC 9Rエンジンとソレックスとの相性がいいのか、快音を響かせて走ります。
明度の高いイエローのボディーカラーと快音で、結構視線を浴びているようです。 「なんじゃ、この旧い車!」 でしょうね。
今後続くであろう苦労話をネタに、このブログをアップしてゆければいいのですが、かつて私が係わってきた4~50台の車の中で最も旧い車ですし、生産台数はたったの2222台、現存数も極端に少ないとくれば、部品調達などはどうなることやら。
2023.06.11
イラストNO、115 準急くまのを牽くC58
イラストNO.115は準急「くまの」を牽引するC58の登場です。
今では紀勢本線を往く特急列車は「くろしお」の独壇場ですが、かつて、その元祖とも言うべき優等列車が準急「くまの」でした。
準急などと言っても、今どきの人たちからすれば何のことだかわからないでしょうが、そんなの等級の列車があったのですね。
さて、その準急「くまの」ですが、この列車は紀勢本線の新宮~天王寺間に昭和27年から運行された客車列車で、新宮~東和歌山までの区間を主に牽引していたのが和歌山機関区、紀伊田辺機関区C58でした。
主に、と書いたのは、区間、時代によってC57、DF50なども「くまの」を牽引しましたので、すべてシゴハチというわけではありませんでしたから。
さて、紀勢本線というと黒潮。
風光明媚かつ雄大な太平洋の大海原を見渡して優雅に走るイメージがありますが、実際の線路敷設状況は全くと言っていいほど真逆。
250~300mという急曲線、勾配とトンネルの連続で、多客期には7連という客車列車を限界に近い運転時分で走らせるのは大変だったようです。
紀伊田辺区のシゴハチは集煙装置、重油併燃装置の重装備機が多く山線仕様です。
260号機がヘッドマークを掲げ、ライトを灯し、7連の「くまの」を牽引して走って来ました。