会長&スタッフブログ

会長&スタッフブログ一覧

2020.04.06

御津の牡蠣、頂きましたよ。

  今朝当社に、先週、割ピンの注文を頂いたお客さんが引き取りに来られました。

御津町で牡蠣の養殖などをされている、当社専務の知人です。 

何でも、海から上げた牡蠣の殻に付いているフジツボなどの要らないものを取り除くのに、割ピンを利用しているとの事。

100本ほどの割ピンの頭にワイヤーを通し、直径20Cmほどの輪を作ってそれをグラインダーの回転軸に取り付け、回転させながら、熟練した作業者が牡蠣の殻を綺麗に仕上げるらしいです。

海に関わる仕事ですから、耐塩水対応で、割ピンもステン製のものを使用するらしいのですが、何とも意外な使われ方をするのですね。 

ちなみに割ピンのサイズは6×50がベストなようです。

本来の使用目的とは異なる割ピンの使用方法はいくつか知っているのですが、これは私は知りませんでしたね。 そりゃー、いろいろなところでお使い頂ければ、メーカーとしては嬉しいことです。 

ただ、中には、そんな使い方は止めてくださいよ! 危ないですよ、というような使用例も、たまにはあるのですが。。。

それで、そのお客さん、私と雑談していると、牡蠣は要りますか? 殻つきですけど。 要らないというわけがありませんよ。 

発泡材製のトロ箱のフタを開けて見ると、中には獲れたての牡蠣がいっぱい。30個ほどもあって、社員さんにおすそ分けしました。

兵庫の牡蠣も今や名産品。 もう牡蠣の時期も終わりだと思いますが、シーズン終わりの牡蠣の食べ収め、ということで、有難く頂きましょう。

カキフライか、焼き牡蠣でしょうなー。 ビールでも日本酒でも、どっちゃでもえーですな。

2020.04.05

市川堰堤の桜並木

  昨日、今日と、そろそろ満開を迎えるであろう市川河川沿いの桜並木を、朝の早い時刻に見てきました。

桜並木を見ると言っても、ただ新小川橋西詰めの堰堤を車で2~3往復するだけですが。

例年なら、恐らく昨日、今日と大勢の見物客が繰り出し、桜の木々の間に提灯が下げられるのですが、さすがに今年は無し。 人影もめっきり少ないです。

今日は天気は概ね良かったのですが、風が少々冷たくて、さて、週明けはいつまで桜は持つのでしょうか。

毎年、堰堤の南端あたりにピンクラを停めて記念写真を撮っているのですが、今年は944です。

2020.04.01

鎮魂の碑の除幕式

  先日お伝えした鎮魂の碑の除幕式が、昨日3月31日の夕刻午後4時に行われました。

集まった人は、鶉野飛行場碑苑保存会のメンバー、事故当時の状況を語る人、北条鉄道の社長、事故の列車に乗っていた方、そしてご祈祷をするお坊さんなど20名でした。

場所は網引駅西方約300mの北側線路の築堤下です。

どんよりと曇って、今にも雨が来そうな天気の中、除幕式が始まる3,40分前から関係者が集まって来て、小さな碑の除幕式がしめやかに行われました。

ちょうど午後4時56分に網引に到着する上り列車が、田原側からやって来て、万願寺川橋梁を渡り切った辺りから鎮魂のタイフォンを鳴らしながら事故現場をゆっくりと速度を落として通過しました。

事故の起こった時刻に合わせた演出でした。

プワーーーーーーーーン。。。カタン、カタン、カタン、カタン。。。 事故の列車に乗り合わせていたというYさんは今93歳。 

75年前の事故を、どんな想いで振り返っていたのでしょうか。 碑の関係者も、もう80歳前後の年配の方々ばかりですから、事故を少しでも風化させないためにも、碑の存続を見守る次代の人に継がねばなりません。

慰霊碑の横をタイフォンを鳴らしながら通過する上り列車

2020.03.23

大椿木庭園の花

  今年もまた、当社の大椿木庭園の椿が、一昨日突然開花しました。

北側の太郎冠者が3輪、南側の蝦夷錦が2輪です。 私たち人間が、まだまだ朝晩は寒いと思っているのですが、

草花にしてみれば、もう十分に春です、ということを証明してくれているような感じで、自然の営みの確実さには毎年のことながら感心します。

大椿木庭園も造ってからもう4年目。 水やりと少々の液肥、オルトラン粒剤以外には、ろくすっぽ手入れもしていないのに毎年綺麗に花を咲かせます。

北側の太郎冠者

南側の蝦夷錦

2020.03.19

鎮魂の碑 

  今から75年前の昭和20年3月31日のこと。

国鉄北条線 (現 北条鉄道) 網引駅西方で、列車脱線転覆、死傷者116名 (死者は12名) という大事故がありました。

これは、鶉野飛行場に着陸しようとしていた紫電改が、エンジン停止によって飛行が不能になり、畑に不時着する際に尾輪付近を線路に引っ掛けてしまったという事故でした。

運悪く、その直後に通過する上り列車が、道床からずれて変形した線路で脱線、そのまま下の畑に機関車、客車共、転覆したというものです。

先日、鶉野飛行場碑苑保存会の上谷さんから連絡を頂き、この度事故現場に慰霊碑を建立し、事故のあった3月31日にちょっとした式典を執り行うとのことです。

事故が起こった午後3時半の後、網引を通過する上り列車で汽笛吹鳴をするとのことですから、DCのタイフォンなのですが足を向けてみようかと思っています。

汽笛は写真には写りませんから、動画にしないとダメですね。

この度、上谷さんから依頼を受けて13年前、加西市役所で開催された鶉野飛行場展に製作した、墜落現場の再現ジオラマのデータを掘り起こしました。

線路を含む地面を折山君が、機関車と客車、紫電改は私が担当して、それらしく作ってみたのですが、線路と紫電改との距離が1/80では取れず、実際よりもかなり縮めてあります。

その距離は200m弱あったとの証言もありますが、まあそれはともかく、おおよそ、どんな事故現場だったのか想像はして頂けますでしょうか。

ちなみに、機関車は中村精密のC12、ナハ22000系風木造客車はペーパーで自作、紫電改は長谷川の1/72 を使っています。

また、このジオラマを見た当時の現場を知る人が、紫電改の機体の損傷は模型よりももっと酷く、客車は中ほどからくの字に曲がって、半分は機関車の上に乗っていたとのことで、製作した私たちの想像をはるかに上回る惨状だったようです。 

いつか機会があれば、このジオラマよりももっと事故現場に近いものを再現してみるのもいいかなと、私は秘かに思っています。

地面は折山君にお願いしなければならないですけどね。 

75年前に事故のあった現場付近

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