昭和50年春。私は甲南大学鉄道研究会の合宿で、三国港を訪れたことがありました。
今では えちぜん鉄道 三国芦原線となっていますが、かつては京福電鉄三国港線(だったと思う)時代です。
この時、電車の写真は撮っており、ネガはあるのですがプリントしたことはないので、その時の電車がどんなものであったのかは記憶にありません。
沿線には芦原温泉、東尋坊などの温泉地、観光地がありますので当時から結構観光客もいたようですし、福井から三国港までの電車にも乗客はかなりいたような記憶はあります。
その合宿の帰路、尾小屋へ行こうと私を誘う同期生を振り切って一人で糸魚川まで遠征、東洋活性白土にコッペル製の東白2号機を撮影に行ったのですが、今になって思えば廃止寸前であった尾小屋鉄道の撮影を優先させるべきでした。
そんな後悔の残る尾小屋を訪れるのは、なんと今回が初めてですから、2日目の中年会の訪問先であった尾小屋には格別の思いがありました。
昔話はともかく、2003年に3セクで生まれ変わったえちぜん鉄道はその後どのようにかわったのかと楽しみでした。
いざ車庫に入って見ると、当然電車も新しくなり、塗色も白地にグラデーション風の青い帯が入ってハイカラです。地方鉄道のイメージはありません。
現行の車両は5000系、6000系、7000系ですが、5000は豊橋、6000は愛知環状、7000はJR東海、各鉄道からの移籍とのことで、えちぜん鉄道発注の新製はL型 Ki-Bo と呼ばれる低床式LRTということでした。
ちなみに、6000,7000系の前面デザインはパッと見、区別が付かないほどの瓜二つ。
私には阪神8000系のようなデザインに見えますがどうでしょうか?写真をご覧ください。
L型 Ki-Bo は富山ライトレール車両の兄弟車とのことでしたから、細部の仕様は別にして同型車両かもしれません。
ただ1両だけの5000
よく似たデザインの6000と7000
車庫内で整備をうける6000とKi-Bo
またまた割ピン見つけましたよ。
車庫を出てみると、ML521,522と呼ばれる凸型電機が大きなスノープロウを付けたままで留置されています。電車もいいけど、やっぱり電関がいいですね。早速、写真撮影がしやすい位置まで移動してもらっての撮影会となりました。
電関ですから波動用なのですが営業運転をするわけはなく、今は除雪専用で置いてあるらしいです。何ともったいない。
この地方、最近では積雪も多くて2~30Cm。三八豪雪のようなドカ雪で、鉄道車両が立ち往生するような事態になればともかく、除雪用機関車は出番があるのでしょうか?
いっそイベント列車の運行でもすればいいのに、と、思ってしまいます。
除雪だけではもったいないです。ML521と522
521と522の2両、同じ茶色塗装なのですが色目が違い、521は国鉄客車色でいうぶどう色2号で明る目、522は同1号の近似色に見えます。
わざわざ色目を変えて変化を付けているのかな?と思って聴いてみると、たまたまあった色で塗ったと。。。あっ、そう。。。
おっと、ここでも台車の整備、修理に、当社の割ピンがたくさん使用されていました。ご愛用、毎度ありがとうございます。
我々は車庫を辞して、福井口から福井、福井からは加賀温泉まで北陸本線で移動し、宿泊地である山代温泉へ向かいました。
沿線随所で、北陸新幹線の高架桁工事が行われていました。金沢~敦賀の開通は6年後の平成34年予定ですからね。
加賀温泉で下車した我々は、送迎バスで山代へと向かいました。
ゆっくりと湯につかって、久々に顔をあわせたメンバー同士で夕食、宴会です。
トウジ