会長&スタッフブログ
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2025.05.19
56号機
昨日は約2か月ぶりに福知山に行ってきました。
3月初旬に福知山鉄道館「フクレル」で細やかテツご縁を頂いてからのことでしたが。
前回訪問時は、元々福知山鉄道館ポッポランドのあった場所に保存されている、56号機の生存確認はしていたのですが、ろくに写真も撮らずでしたので再訪というこでした。
56号機は、半開放と言えどもキッチリとした保管建屋のなかにあり、行き届いた手入れのお陰で、ロッド類を見れば今にも動き出しそうな雰囲気で嬉しいです。
「フクレル」のボランティア案内役をお務めのOさんは元国鉄マン。
56号機は昭和43年福井国体の際に、お召列車牽引の栄えある機関車ですが、その時の勇姿を撮影されていますので、私は1枚無理を言って頂きました。
昭和43年10月6日、和田山機関支区での撮影です。
2025.05.13
510のその後 ④
いよいよ復活まで秒読みか! と、喜んでいたら清水さんの顔が冴えない。
嫌な予感、が、的中。。。
静かに回っていたエンジンでしたが何かがおかしい。 あれこれと不調の原因を探っていて結局、何とエンジンの4番と3番の圧がかからないということが判明。
4番は規定の半分くらいで3番は7割程度とのこと。 なるほど、ソレックスの吸気口に手を当ててみても分りますね。 吸気の引きが悪すぎます!
シリンダー1本にキズが入っているとは聞いていたのですが、2本の圧が抜けているとはねー。
あれこれと考えてみても、結局はL4のエンジンブロックを調達せねばならないという結論しかありませんので。 すぐにヤフオクを繰ってみて中古のブロック購入となりました。
ただ、同じL4のL16エンジンと言っても、生産期間が長いエンジンであったので、細部に仕様変更なども。。。
ヘッドやピストンはそのまま使いますので、ブロックとの相性が上手く取れればいいのですが。 ここは清水さんに委ねなければなりませぬ。 たのんまっせー。
結局、エンジンを下さなければならないことになってしまいましたがな。
これから先はどうなりますか?
2025.05.04
丹後由良まで
5月の連休特に予定もなく、日ごろやり残している雑多な片付けごとをしようかと思っていたところ、ポルシェ仲間からお誘いがありました。
それではと、久々に行きたいと思っていた丹後の地、由良まで片道120~130Kmのプチツーリングになりました。
昨年9月発行の「蒸機の時代」97号で、表紙写真として掲載頂いた丹後由良駅を久々訪れてみたいと思っていましたので、私にとってはいい機会になったのです。
この地の観光名所は、何と言っても日本三景 天橋立なのですが、いざ行ってみるとさすがに連休の真っただ中、人と車で満杯。
そそくさと宮津方面に逃げ出して、「レストラン漁連 ととまーと」 に飛び込んで海鮮丼の昼食後、由良川橋梁で上り列車を1本撮影し、丹後由良駅に行きました。
ホームには植栽のツツジが満開となっており、上下する列車と絡めたトウシロー写真を3本撮影しました。
駅待合室はコーヒーなどの飲み物、軽食が出来る喫茶スペースになっていますので、列車が来る時刻になるとホームに出て写真、というグータラ撮影も出来ますから、
半日くらいはゆっくり出来ますね。
私がよく撮影に通っていた昭和40年代半ばから、もう、55年以上が経っているのでした。
2025.04.30
510のその後 ③
長らく復活が遅くなってしまう感のあった510。
あれこれと欠品パーツがあったり、配線、ソレックスキャブのリンケージ関連パーツ自作なり、の状態でした。
が、ここに来て清水さんの手が少し空いた折を見て、一気に仕上がりが目前になって来たようです。
今日の午後、ちょっと様子を見に行きましたら、510は外に出されていて、何とエンジンがアイドリング状態で静かに回っていました。
エンジン始動までのいくつかの問題を、清水さんは2、3日の内にクリアしてのことでした。
うっすらとボディーを覆っていた積年の埃も拭き取られて、綺麗な昔の日産のクリーム色車体は極上と言ってもいいほどです。
一般公道デビューが楽しみになってきましたね。
2025.04.22
TMS 1000号の記事
先日知人のS君からメールが入って、TMSの1000号記念号に記事を載せたので送るとのことで、楽しみにしておりました。
それが昨日届いて早速ページを繰りました。
S君の記事は93ページに、「創刊号に見つけた父の名」 というタイトルで、1947年発行のTMS創刊号に掲載されたS君のお父さんの記事を発見した、というものでした。
以前よりS君からは断片的に、お父さんの模型歴については聞いていましたが、ことTMS誌との関りが2号から後も続いてあったことは知りませんでした。
今、それから80年近くが経過して、鉄道全般が私たちの日常でグッと身近になって来て、家電量販店が鉄道模型を売る時代になりましたが、世が戦後のどさくさ、衣食住にも困窮していた昭和22年という時期に、鉄道模型云々とは、これはとんでもなく超越した別世界だったことでしょう。
私は小学4年生(昭和38年)頃からS君と親しくなり、毎日のようにS君宅敷地内にあった模型製作所に遊びに行っていました。その頃お父さんから聞いた話では、昭和20年の大阪空襲で自作の鉄道模型はすべて焼失してしまったとのことでしたが、私は子供心に、戦前にお父さんが作った鉄道模型とはどんなものであったのかと思いを馳せたものでした。
当時すでに、大阪の模型人としてお父さんは有名な存在で、関東にも同好の知己がおられたのではないかと私は推測しますが、創刊号に寄稿されたのもTMS生みの親であり、長きにわたって主幹を務められた山崎喜陽氏との繫がりであったからこそでしょう。 ちなみにS君のお父さん、S君とのご縁を頂いて東京の、とあるレストランで山崎喜陽主幹に食事をご馳走になったことが懐かしく思い出されます。。。
S君がこのTMS1000号を送ってきてくれたことで、昨夜は走馬灯のようにS君と、S君のお父さんとに関る思い出が続々と思い起こされ、なかなか寝付けませんでした。
TMSは創刊から78年。 この偉大なる鉄道趣味誌のパイオニアの益々のご発展を、細やかながらご祈念申し上げます。
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