会長&スタッフブログ
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2013.12.29
タイ日系企業視察の旅 (おまけ カンボジア編)
さて、後編は最終2日間に訪れたカンボジアのことを少しだけお話したいと思います。
それとタイで手に入れた少し変わったお土産もご紹介します。
今回はおまけ程度の内容です。ご了承ください。(笑)
さて、今回のカンボジア視察(ほぼ観光)についてですが、滞在時間が短くタイ視察後のおまけほどにしか思っていなかったので、基本情報はほとんど調べずの入国でした。
今になってから調べるという有様です。
以下にカンボジアの基本情報を書きますと・・
国土は日本の約半分。
人口約1513万人。
GDPは約128億ドルで、これは鳥取県の1/2程度の経済規模。
一人当たりのGDPは851ドルで、世界平均の10%にも満たないレベル。
・・おおまかに書くとこんな感じです。
カンボジア通貨は【リヤル】ですが、USドルや一部タイバーツでの支払いも可能です。
私自身、滞在中の支払いはすべてUSドルで済ませました。
ただし、1ドル未満のおつりはリヤルで返ってきます。
首都はプノンペン。
今回はアンコールワットの観光が目的でしたので、プノンペンから北に300kmほど離れたシュムリアップに降り立ち、観光後はそのままタイ経由で日本に帰りました。
つまりシュムリアップ周辺の街しか見ていないので、ビルのひとつもない農業国の印象しか残らなかったのですが・・
帰ってからインターネットでプノンペンの街を見ましたら、意外と近代的な街並みも見られるようで驚きました。
フランス植民地時代の建物もそのまま残っているようです。
さて、今回のカンボジアのメインとなったアンコール遺跡の見学について書きたいと思います。
アンコール遺跡とはカンボジアの象徴ともいえる世界遺産です。
東京23区と同等の広さの中に点在する遺跡群の中のひとつが皆さんご存知【アンコールワット】と呼ばれる寺院です。
12世紀前半に建設されたヒンドゥー教の寺院で、建設には30数年を要したと言われています。
約5kmに及ぶ塀に囲まれた敷地には3つの回廊とそれに囲まれる5つの祠堂があり、柱や壁にはヒンドゥー教や古代インドの叙事詩が描かれたレリーフがくまなく施されております。
このようなすばらしい建造物にもかかわらず、1970年代には共産主義勢力のクメール・ルージュによって寺院内の彫刻や仏像は悉く破壊されました。
今なお完全修復には至っておりません。
さて、あらゆる世界遺産訪問の中でもこのアンコールワットほど感動したことは今までありませんでした。
それはアンコールワットという建築物が素晴らしいと思ったということより、厳密に言いますと今から380年も昔に森本右近太夫一房という一人の日本人が仏教の聖地『祇園精舎』を目指してこの地に来たという事実が存在するからです。
森本右近太夫一房という人物は江戸時代初期に存在した平戸藩の武士で、加藤清正に仕えた亡き父の菩提(ぼだい)を弔うため、当時『南天竺』と言われていたカンボジアにたどり着いた人物です。
後述しますが、決してカンボジアを「目指した」わけではありませんでした。
朱印船に乗って明を経由し、陸路をひたすら歩き、ようやくこの地にたどり着いた森本はアンコールワットの『沐浴の池の跡』の柱に墨で落書きを残しました。
以下がその文。
寛永九年正月初而此処来生國日本
肥州之住人藤原朝臣森本右近太夫
一房御堂心為千里之海上渡一念
之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
其仏像四躰立奉者也
摂州津池田之住人森本儀太夫
右実名一吉善魂道仙士為娑婆
是書物也
尾州之國名谷之都後室其
老母之魂明信大姉為後世是
書物也
寛永九年正月丗日
おおまかな内容を言いますと、
「寛永九年正月この地にたどり着く。日本生まれの森本右近太夫一房なり。亡き父の菩提を弔うため、母の後生を祈願するため、何千里の海を越えてやってきた。ここに仏像四体を奉納する」
こんな感じの内容でございます。
寛永九年正月とありますから、西暦でいうと1632年になります。
そんな大昔にカンボジアに行ったんですよ!スゴイですね。
実はその森本が書いた落書きが今でも残っています。
それが↓コレです
この地を目指した森本の想いを、苦難の連続を、そして聖地が眼前に現れた時の感動を想像しながらその落書きに触れていますと、涙が出てくる思いでした。
苦難の道程が月並みですが垣間見えたから・・・と言うのは少々おこがましいですね。
10日間ほどの滞在の後、森本右近太夫は無事日本に帰ってくることができました。
しかし、アンコールワットのあるここはカンボジア。
そう。祇園精舎があるインドではなかったわけですね。
己の信仰心に導かれるままに仏像四体を奉納したこの寺院も、悲しいかな仏教寺院ではなくヒンドゥー教寺院だったという事実・・。
しかし、この地が天竺だろうが南天竺だろうが、先祖の魂を供養するという信念のもと苦難を乗り切りこの地にたどり着いたという行動に深い意味があるのだと私は思います。
年代にはバラつきがあるものの、当時アンコールワットを訪れた日本人は森本以外にも数名いたようです。
その誰もがここアンコールワットを【平家物語】の冒頭に出てくる『祇園精舎』だと信じて訪れたのだろうと言われています。
ちなみに森本右近太夫一房が書いた件の墨書(落書き)ですが、ポルポト政権時代にアンコールワットを要塞として使っていた兵士が上からペンキで色を塗ったため、墨書の判読ができなくなりました。
近年、時間の経過とともにペンキが落ちてきて少しずつですが墨書が判別できるようになってきたのは喜ばしいことです。
時を越えて同じ国からやってきた日本人として異国の地の同じ場所に立つ。
なんというロマンでしょうか。
我々日本人にとってはそれだけでアンコールワットの魅力が倍増します。
歴史のロマンに浸りたい方、是非行ってみてください。
感動はこの私が保証します。笑
さて、ここからはタイ視察番外編です。
今回たくさんの珍品を手に入れることが出来ましたのでそれをご紹介します。
まず、【レッドブル】。
今や世界一売れているエナジードリンクといえば間違いなくレッドブルです。
その発祥が実はタイであるというのは、前回のタイレポートでもお伝えしたとおりです。
実は今回、本場タイのオリジナル【レッドブル】を入手することが出来ました。
それがコチラ!
皆さんよくご存じのワールドワイド版レッドブルと違う点を挙げていきますと・・。
・瓶詰め仕様である
・炭酸ではない
・実は【レッドブル】という商品名ではない
と、まあこんな感じでしょうか。
向かい合った水牛のデザイン以外、共通点があまりありません。
ちなみにこのタイオリジナル【レッドブル】ですがその起源を辿ると、なんと日本の【リポビタンD】をヒントに生まれた栄養ドリンクだったのです。(瓶詰め仕様や炭酸飲料でないのはそのため)
今回はタイ版のリポビタンDをはじめ、カンボジア現地仕様レッドブル等、かなりマニアックなドリンクを持ちかえることに成功しました。
私の大切なコレクションです(笑)
左・元祖タイオリジナルレッドブル 中・ワールド版レッドブル タイ仕様 右・カンボジアオリジナルレッドブル(シュガーフリー)
さて、本レポートはデジカメを落としてしまったおかげで写真が少なくなったわけですが、ではどこで何をしている最中に落としたのか・・。
実はパッポン通りに行く道中に落としたのです。
もっと正確に言うとパッポン通りに行くのにトゥクトゥクを捕まえてそれに乗ったわけですが、運転手のあんちゃんがノリノリで大爆音の音楽を流してくれて、ヒャッハー!とか言いながら一緒になってノリにノっていたらその最中にポケットから落ちちゃってたというわけです。
アホですよね。
そんな多大な犠牲を払ってまで買いに行ったのは一体何だったのか・・!
実はTシャツです(笑)
そう、2年前のレポートでも少し触れましたが、タイはパロディTシャツの宝庫なのです。
B級ファッション好きなわたしにとってはもはや聖地といっても過言ではありません。
他にもブランドもののバッタもん(服や時計)が屋台に積み上げられています。
もちろんTシャツをつくるのなんかは朝飯前。
著作権無視のやりたい放題で生まれたデザインですからパンチの効きがハンパではありません。
そんなオモシロTシャツの数々をご紹介しましょう。
まず、無難に【レッドブル】です。
デカデカと書かれたタイ語がまたなんとも形容しがたいうさんクサさを放っています。
こちらはレッドブルよりはるかに有名なあの炭酸飲料です。
タイ語バージョン【コカコーラ】ですね。
そしてこちらは赤いマークの炭酸飲料のライバル【ペプシコーラ】!
・・・のはずですが・・・。
これはケンタッキーフライドチキン(KFC)の店舗に必ず立っているあのおじさんの顔のように見えますが・・。
よく見ると【KFC】は【ケンタッキー~】の略ではないようです。
世界一有名なイギリスのバンド。
世界一有名なイギリスのバンド。
・・ではなく、悪党の集団です。
某国の元大統領さん(笑)
そしてレッドブ・・・
栄養が足らずに死んでますね。(カンボジアのガイドさんにバカウケでした)
他にもモンスターエナジーのレーシングジャケット(バッタもん)や、アルマーニのポロシャツ(もちろんバッタもん)など、ありとあらゆるいかがわしいアイテムがわんさかありました。
これらのお土産を見に行くだけでも十分価値はあります。
おもしろTシャツで「こんな変なのあったよ!」という情報があればぜひ情報交換しましょう(笑)
タイ・カンボジア視察レポートはこれにて終了です。
さて、2013年ももう終わりですね。
今年は3月のインドにはじまり、7月のロシア、そして11月のタイ、カンボジアと、気軽に行くには少し敷居が高い濃厚な地域に行くことができ大変意義のある年になったと思います。
来年は南米か北米かアフリカかな?
もっともっと見聞を広めて、自分の成長、会社の成長に繋げていきたいです。
今年も色々とお世話になりました。
来年度も【株式会社 旭ノ本金属工業所】をよろしくお願いします。
皆様よいお年を!
イッセイ