会長&スタッフブログ
2013.04.07
夜明けのインディア 中編
皆さんこんにちは。
遅くなりすみませんでした。
なんと!あまりに時間がかかりすぎて急遽予定を変更。
「中編」なる区切りを勝手に作っちゃいました(笑)
だって・・まとめるのヘタクソなんですもの・・
書きたいこと全部書いてたら多分、後編UPできるの8年後くらいになると思います(笑)
実は、花粉症と呼吸困難でもはや死に掛け寸前です。
先週は花粉症がひどすぎて夜寝られずそのまま風邪を引くという醜態を晒しました。
「頭が痛い・・でも、もう少しでブログができる。アップせねば!いや、どーせ、誰も読んでいない。いや、誰か一人でも読んでくれている人がいるのならその人のためにアップせねば。でも頭が痛い。割れそうだ。だいたい、なんでオレはこんなに虚弱なんだ。昔はあんなに腕白だったのに!悔しい・・!」
布団のなかでそんな戯言を念仏のように唱えていると、ふと気がつきました。
もうすぐ、帰国して1ヶ月が経つではないかと・・。
自分のウスノロさ加減に嫌気がさしたところで、あとは各記事を切って張ってつなげて~写真を載せて~の作業だったらできるではないかと思い、なんとかこの中編を完成させることができました。
厚く御礼申し上げます。
・・というわけで、後編は次回に持ち越しということで全3回にてお届けいたします。
今回は【車】を中心にお話を進めていきます。
さあ~イッセイがインドで見てきた車事情はどんなものだったか!
インド視察記 中編~はじまりはじまり~
まず最初に、お金の表記について書いておきたいことがあります。
これから書いていく車やバイクの話をはじめ、お金のことはすべて円に換算してお話を進めていきたいと思います。
日本での物価や給与と比較がしやすく、感覚的にわかりやすいからです。
一応、参考までに2013年現在のレートは1ルピー=約1.75円です。
私は現地でお金を計算するとき、本当におおまかに知りたい場合は単純に、表記の金額に2倍していました(笑)
先に行く前にここで、インド人が一ヶ月に得る賃金のベースを決めておきましょう。
中堅日系企業のキャリア1年目のワーカーの月給が約7,000ルピー=12,250円だそうです。
しかし、有能なベテランエンジニアは月給10万ルピー=175,000円というツワモノもいるようで、給与の平均ベースがなかなか掴みづらいというのも事実(笑)
わかりやすいように私と同じような年齢で架空の人物を設定して決めてみましょう。
● 中堅日系企業勤務、ライン作業従事、キャリア4年目、30歳、月給20,000円(11,500ルピー)。
1ヶ月の給料が2万円。
・・・・どうでしょうか。とてもわかりやすくなったと思います。
これをベースに現地の物価感覚を体感していただければと思います。
物価はこれまた「約」ですが、だいたい日本の1/8くらいだと思っていただければいいでしょう。
高いと感じるか、安いと感じるかはアナタ次第です(笑)
さて、イッセイが見た・聞いた~の話の前に、インドにおける自動車産業の基本情報をここに書いておきます。
インド自動車工業会が発表したデータによりますと、2012年度のインドでの国内新車販売台数(商用車含)は358万7260台だそうです。
一部では「2012年中に400万台の大台を突破する!」と言われていましたが・・少し足らずでしたね。
インド自動車市場は2010年には29%の驚異的な伸びを発揮したのですが、その年にインド中央銀行がインフレ対策で利上げをしローン金利が上昇しまくったのが新車販売の鈍化に影響したと思われます。
あと、先に述べましたガソリン価格の高騰ですね。
国別の新車販売台数ランキングを見ますと
1位 中国
2位 アメリカ
3位 日本
4位 ブラジル
5位 インド
・・ということで、ドイツが陥落し、ついにインドが5位入賞です。
何がスゴイかって、不景気だの~エコだの~人口縮小だの~車離れだの~と、散々言われている日本がなんとまだ3位にいる点です。
普通にビックリしました(笑)
あまり情報が出てこないのですが、インドの中古車市場はどうなのでしょう。
これは大手による中古車販売のインフラが未整備なため、グレーな部分がまだまだ多いようです。
中古車販売も手がける自動車製造メーカーのマヒンドラ&マヒンドラ(M&M)によりますと、中古車の取引形態は、インターネットなどを通じての個人売買が約60%、ローカルの中小企業が約30%、大手が手がける中古車販売シェアは10%未満と、大手による販売体制はまだまだ未発達ということがわかります。
日本の中古車販売会社さんはインドに活路を見出してみてはいかがでしょうか。
さて、インドでの乗用車市場のシェアNo1はどのメーカーだかご存知でしょうか。
トヨタ・・
フォード・・
フォルクスワーゲン・・
それとも地元メーカーのタタでしょうか。
う~ん、違います。
実は【スズキ】です。
これ本当。
地元では【マルチスズキ】というブランド名で浸透していますが、スズキという会社に変わりはありません。
インドにおけるマルチスズキのシェアはなんと40%!
インドに詳しい方なら別に驚くほどのことではないんですが、インドの自動車事情をまったく知らない方ですと「日本の軽四メーカーがインドでトップなんてあり得ない」とか思われるかもしれません。
でも、本当です。
その理由は、本ブログの最後にてお話ししましょう。
この【マルチスズキ】が約40%のシェアを誇り、それに続くのは地元インドの【タタモータース】と韓国【ヒュンダイモーターインディア】で、この2社がだいたい15%ずつのシェアを持っています。
以下、【マヒンドラ&マヒンドラ】(印)約10%、【トヨタ・キルロスカ・モーター】(日)約5%、GM(米)とフォード(米)が各3%、以下、フォルクスワーゲン(独)、ホンダ(日)、ルノー日産・・と続きます。
ここインドにおけるマルチスズキの存在感は圧倒的です。
スズキ率ハンパなし!(笑)
アルト
ワゴンR
スイフト
他、日本ブランドでよく見たのは・・
トヨタ車・・・・エティオス、イノーバ(ともに新興国戦略車)、カムリ(泣く子も黙るトヨタ最強の世界戦略車)
ホンダ車・・・・CITY(新興国向け。昔日本で走ってたあれとはまったく違う)
ミツビシ車・・・・ランサー(新・旧)、アウトランダー
・・と続きます。
日産車は現行のマイクラ(マーチ)を3台ほど見ただけです。
マツダはバスを1台見ました。(これは『SWARAJ MAZDA』という現地との合弁会社。合弁解消後も『MAZDA』の名はなぜか残っているという・・)
高級外車はどうでしょうか。
3年前にインドに行かれた方のお話ですと「当時は小型車しか走っていなかった。高級外車などまったく見なかった」とのことですが、やはり成長著しいインドですから、変化がないわけがありません。
そこそこの数を目撃しました。
ドイツ製高級外車に関しては体感的には【BMW】が多かったような気がします。
それより下に【アウディ】と【メルセデスベンツ】が同じくらいの比率でしょうか。
1台だけですが、デリーの中心部で【ポルシェ】の カイエンも見ました。
我が日本勢の高級外車はどうでしょう。
真っ先に思い浮かぶのが【レクサス】です。
しかし、これがまったく走っていないんですね。
滞在中1台も見ませんでした。。
後で調べましたら、インドでレクサスブランドを展開したのはなんと2013年になってから。
う~ん、そりゃ見るわけがない・・。
しかし、インドにおいても『日本ブランド=高品質』というイメージは揺るぎないもの。
これから先、富裕層を中心にブランドが浸透していけば、街を走るレクサスも格段に増えていくことでしょう。
(もちろんと言ってはなんですが、【インフィニティ】や【アキュラ】もまったく見ませんでした)
ちなみにインドにおける高級車の輸入関税は75%。(800cc以上の二輪車には60%)
近年では、高額な輸入関税を避けるために、なるべく現地で組み立てを行い販売価格を安く抑えたいと考えるメーカーが相次いで現地生産(組み立て)に切り替えているようです。
そしてインドの街でひときわ異彩を放つこのクラシックカーはなんでしょう。
これはヒンドゥスタンモータースの【アンバサダー】です。
実はマルチスズキが席巻する以前はこのアンバサダーこそがインドにおける国民車でした。
(元々はイギリスのモーリスオックスフォードのライセンス生産車)
ヒンドゥスタンモータースの地元、コルカタではまだ多数走っているそうです。
今回訪問したデリーとチェンナイではそれなりの数を見ましたが、それでも10年ほど前に比べると圧倒的に台数は減ってきているようです。
なんと・・・!現役生産車(笑)
このアンバサダーも後半で少しだけ登場します。
あと、2009年に10万ルピー(175,000円)という激安価格で登場し、世界中を驚かせたタタモータースの【ナノ】はインドのいたるところで・・
・・・・嘘です。
実はまったく走っていませんでした(笑)
滞在中見たのは本当に1台だけでした。
発売直後から不具合が頻発したり、工場の稼動がうまくいかず生産が進まなかったりと、話題とは裏腹に販売が思うように軌道に乗らなかったのが原因だといわれています。
しかし、根本はもっと違うところにあるような気がしてなりません。
自動車を所有することが一種のステータスであるインドでは、【ナノ】はあまりにも「下」を見すぎた車だったのではないでしょうか。
実用性重視といえど、プライドの高いインド人には少し受け入れがたいパッケージングだったのは間違いないです。
「そこまで安い車を買うくらいなら・・」という気持ちがあったのだと思います。
現在【ナノ】は装備やバリエーションを増やしながらしぶとく販売されています。
また、周辺のスリランカやネパールにも輸出を始め、新たな販売網を構築中です。
インドでの販売は成功したとはとても言いがたいものです。
しかし、【超低価格車】という自動車のあり方そのものを根本から覆そうとした思想は評価に値するでしょう。
ちなみにインドの「ザ・国民車」ことスズキの【マルチ800】ですが、これが約38万円からのお値段です。
【スイフト】で約50万円から。
もちろん新車での価格です。
メチャクチャ安いですね。
日本ではあり得ない価格です。
「お!おのれ~スズキめ!インドが好きだからってそのようなひいきは許さんぞ~!」
と、お怒りになるのはお門違いです。
なぜなら、安いのには理由があるからです。
これが所謂『インド仕様』というものです。
コストカットの賜物ですね。
では、どういうところにコストカットが施されているのか・・
それは次回、後編でお話しましょう。
さて、交通マナーに関しても少しふれておきましょう。
皆さん、だいたいの予想はつくと思いますが・・・割とメチャクチャです(笑)
信号の遵守意識はまだある方ですが、それでも信号のないところになるとわれ先にと、車・バイクが入り乱れるのはもはや日常の一風景でしかありません。
ダイキン工業㈱様を訪問する際、地方の狭い道をバスで走っていたのですがこのチャーターバスの運転手がこれまたメチャクチャで、対面二車線の道路なのに前を走る車が遅いと判断するや否や何の迷いもなく追い越しを決行しまくるのです。
対向車線(真正面)から大型のバスやトレーラーがこっちに向かって迫ってくる光景は、気絶寸前の地獄絵図です。
車内のあちこちで「危ないぶないぶないぶない!!(汗)」「あああ~!コレぶつかるでぇぁあ~!!(願)」「ちょ~おお!!死ぬ死ぬぅう~!!(涙)」という絶叫がこだまします。
しかも今回、移動に使ったバスはインド【タタ】製のバスだったのですが、サスペンションが明らかに異常でございまして・・。
まるで衝撃を吸収している気配がありません。
まさにリジッドサスです。
デコボコの道に突入した際には車体の傾き加減と底突きの衝撃により、車体がバラバラになるんではないかとハラハラしました。
そんな状況でも平気で横をすり抜けていく車が多数いるわけで。
本当に事故を起こさないのが不思議なくらいです。
移動の2時間半の間、クラクションが鳴りっぱなしだったのは言うまでもありません。
さて、ガソリン事情はどんな感じなのか・・。
実は、インドのガソリン価格は想像以上に高く、1リッター120円(70ルピー)もします。
物価水準を考えると鬼のような価格です。
日本のガソリンよりちょっと安いくらいですよね・・。
我々の感覚からするとガソリン1リッターを買うのに1,000円ほど払っている計算になります。
ルピー安と世界的な原油相場の上昇という日本と同じような状況がガソリン価格上昇の原因となっているようです。
これだけガソリンが高いとなると・・。
ハイ、そのとおり。ガソリンより価格が安い軽油を燃料とする「ディーゼル車」の存在感が大きくなってきているようです。
ローカルメーカー&外資メーカー各社は去年あたりから「これからディーゼル車両の生産に力を入れていく」と軒並み意気込んでいます。
ちなみにインドでの軽油価格はガソリン価格の約半分。
日本ではガソリン価格に対して軽油価格はリッターあたり20円ほどしか安くないことを考えると、日本以上にディーゼル車のメリットは大きいのではないでしょうか。
ディーゼル車の市場を開拓するメリットは十分にあります。
デリーでよく見たのが写真の「INDIAN OIL」というガソリンスタンドでした。
本視察での移動は大半がバスでの移動でした。
実は、乗用車以外の、トラック、バス、タクシーに関しては登録地以外の州に入る際にはTAX(税金)を払わなければならないようです。
言ってしまえば【関所】みたいなものです。
州の境目には料金所があり、お金を払うまでに10分ほど待たされます。
どれほどの金額か詳しくはわかりませんが、入る州によって金額は違うとのこと。
お金を払うと領収書兼チケットが手渡されるので、それを見えるところに提示しておきます。
料金所といってもゲートがあるわけではなく、地元ナンバーの車と混在して通過するのでそのまま通過してもわからないような気がしますが・・。
ちなみにお金を払わないで走っている・・つまり警察に止められた際にチケットを見せることができない場合どうなるか。
車はその場で即【使用禁止】になるそうです。(それって・・帰りは徒歩?)
ではここで、インドにおいてなぜスズキがこれほどまでに幅を利かせられることになったのか!
その理由をお話しましょう。
インドにおけるスズキの偉大さが身に沁みてわかるそんな物語です。
まず、インドの自動車産業のあらすじはどんなものであるか・・!
知っている方も、あんまり知らない方も、全然興味ない方も、あらためておさらいしていきましょう。
インドの自動車産業の道は1970年代後半、インド5代目の首相 インディラ・ガンジー氏の【国民車構想】政策により開拓されました。
(ちなみにこのインディラ氏・・女性です。ちなみに皆さんよく知るマハトマ・ガンジーとは何の血縁もない)
それ以前、1970年代よりはるか昔の1930年代から実はインドではGMとフォードがノックダウン方式にて自動車生産を行っていました。
1940年代にはインドの財閥系メーカーも参入し、自動車国産化も幕を開けました
しかし、社会主義体制が色濃い時代、インドにある自動車メーカーは外資メーカーや国内メーカーを問わずインド国内で自由に自動車の製造・販売を行うことができませんでした。
インド国内にある外資・国内自動車メーカーは、インド政府から出向してくる官僚や役人の指示のもと、ありきたりな乗用車を製造しているに過ぎませんでした。
(GMとフォードは1950年代に撤退。)
1970年代のインドを象徴する乗用車といえば【ヒンドゥスタンモータース】の『アンバサダー』(もちろんネスカフェは全然関係ない)と、プレミアオートモービルスの『パドミニ』です。
この2車種はインド国内で爆発的に売れました。
爆発的に売れたというより、消去法で売れたとでもいいましょうか。
この頃のインド自動車産業は自国産業を保護するという名目で、外資系メーカーの締め出し、完成車の輸入禁止や新規・既存事業のライセンス規制など、非常に閉鎖的な政策をとっていました。
上記2車種が集中的に売れた理由は、インド国内にあった自国6メーカーのうちの乗用車を生産していたのが上記2メーカー(ヒンドゥスタンとプレミアオートモービル)だけだったからです。
そして、売れたのはイイんですが、ほとんどモデルチェンジもせず長期間ロングセールであり続けたため、インド自動車産業そのものが世界の自動車最先端技術から大きく引き離されるという「致命傷」にもなりました。
小型で燃費がよく品質の安定した自動車を作りたい!というインディラ首相の指示のもとインド政府は、当時、高品質な乗用車の輸出でアメリカ政府を半泣きにさせていた日本の自動車メーカー各社に対してインド進出を打診しました。
しかし、バブル景気前夜の80年代前半、日本企業が海外市場として目を向ける先は常に北米が中心でした。
インドのような未開の後進国に進出などという考えは異端も異端。
「イ、インドに進出て・・・そんなアホなメーカーおるわけないやろ」
誰もがそう思ったに違いありません。
しかし、自動車メーカー各社が無視を決め込む中、ただ一社、名乗りを上げる企業がありました。
それがスズキだったのです。
これにはスズキの内部からもかなりの反対意見があったようです。
1982年、インドの腐った自動車産業にスズキが斬りこみを敢行していきます。
とは言っても、社会主義体制がはびこる当時のインドで、スズキが単独で自動車生産をすることは許されませんでした。
インド政府から『提携先』として指定されたのが【マルチ ウドヨグ】という現地自動車メーカーです。
この【マルチ ウドヨグ】という会社、実はインディラ首相の次男、サンジャイ・ガンジー氏によって1977年に設立された自動車メーカーです。
ここにスズキが出資するという形で自動車生産がスタートしました。(ちなみに当時スズキの出資比率は26%)
しかし、事実上の国営企業ということで舵取りは常に政府側。
社長には自動車の「じ」も知らない官僚が就任するわけです。
自動車生産の「プロ」であるスズキ側は相当イライラしたに違いありません。
そんな中でも1984年に発売した【マルチ800】(2代目のスズキアルトをベースに800ccまで排気量をアップ)は低価格・高品質もさることながらインドの道路・交通事情にマッチ、マルチ ウドヨグが持つ大規模な販売網も手伝ってインド小型車市場においては敵なしの寡占状態を誇りました。
その後も、国営企業という傘のもと、マルチウドヨグ(&スズキ)は小型車生産では常にインド市場においてトップを維持してきました。
しかし、1991年、インド政府が経済開放政策に切り替えたことによって『マルチ ウドヨグ帝国』に変化が起こります。
それまで80%以上のシェアを誇っていた小型車市場に外資の自動車メーカーがなだれ込んで来たのです。
インド市場をめぐっての自動車メーカー同士の熾烈な競争が始まりました。
1992年、スズキはマルチウドヨグへの出資比率を50%まで引き上げました。
・・が、相変わらず『国が経営するマルチ ウドヨグ』という枠にハメられたままのスズキはインド政府の干渉によって思うように経営の舵取りができません。
そして、不適格極まる役人が政府の指示により「社長」に決まってしまうという事態を目の当たりにした時、スズキの堪忍袋の緒がついにブチ切れました。
「マルチウドヨグ(インド政府)とスズキの双方が承認した人物でないと社長には抜擢できない」という内容を突きつけ、裁判をおこしました。
この件は結局、国際的な裁判の場まで持ち込まれることになり、インド政府側が折れるということで決着がつきました。
またスズキの戦いはインド政府だけではありませんでした。
社会主義の歴史があるインドでは労働組合が非常に強い力を持っています。
外資系の企業は長年、組合が巻き起こす賃金見直し要求によるストライキなどに悩まされていました。
ある時は暴力に訴え、またある時は政府の役人を使い、組合はあの手この手で企業を恫喝しました。
しかし、スズキは労組による不当な要求は一切受け付けませんでした。
会社が向かうべき方向に逆らう者は一切雇わないと。
インドでのスズキの歴史は、インドにはびこる政治腐敗や労働闘争との戦いでもあったのです。
インド政府に対するスズキの姿勢は、行き先不透明・暗雲立ち込めるインド社会全体にとっても大きな衝撃を与えました。
「これが日本企業の経営理念か」と・・
1999年には社名を【マルチ ウドヨグ】から【マルチスズキ】に変更。
2002年には株式の半数以上を手に入れ、スズキ株式会社(日本)の完全子会社化としました。
・・とまあ、そういう歴史があるわけでして、インドにとってやはりマルチスズキはちょっと特別な存在。
先にも述べましたが、現在、インドの乗用車市場におけるマルチスズキのシェアはおおむね40%前後です。
インドの自動車工業史はスズキと共に構築してきたといってももはや過言ではありません。
そんなスズキの血と汗の重みを理解すれば、なおいっそう街を駆るスズキの車が勇ましく見えてしまうものです。
高級外車を相手に豪快な割り込みを敢行できるのもスズキの歴史が成せる業・・!
まさに小さな巨人。
さて、中編の最後に・・
新興国を中心に現在【超低価格車】というものが存在感を増してきています。
先に登場しましたタタの【ナノ】をキッカケに、新興国をターゲットにしている自動車メーカー各社も急速に意識が変わってきました。
自動車作りは日本のお家芸です。
日本が得意とするのは主に「真ん中」あたりの車です。
つまり「超」がつかない低価格から、「超」がつかない高級まで。
もう少し頑張れば一番下から一番上まですべての層で日本は活躍できます。
東南アジアでは今でも日本車のシェアが8割を超える地域もあります。
ピンチ、ピンチといわれる日本企業ですが、まだまだ有利な立場であることに変わりはありません。
今が踏ん張り時ということですね。
しかし、今から30年先、世界の自動車勢力図は今とは大きく違うものになっていると私は思います。
インドの次は南米でしょうか。
そしてその次はアフリカでしょうか。
そして、世界中の人々が【中間層】に移行した時、その先にはどのような市場が待ち受けているのでしょうか。
私のような凡人には想像もつきません。
もしかしたらそんな凡人の想像を超越して・・・車は全部空を浮いているのかも知れませんね。
次回、後編はインドの二輪事情見聞録を書きます。
例によって気長にまったりとお待ちいただければと思います。
ではでは~
イッセイ