2017.09.21
先日のブログ、デゴイチあげます、のYahooNewsの記事の中に、大変残念なくだりがありました。それは、引き取り手が無く、保存維持が困難、などの理由により最近解体されてしまった保存機に、長崎中央公園のC57100号機があったことです。
100号機は昭和14年(1939年) 日立製作所笠戸工場製で、新製配置は姫路でした。その後配置区は幾度か変わりましたが、昭和天皇の佐賀長崎巡幸時にはお召列車牽引も果たし、特急かもめの牽引機でもあった名機でした。
現役引退後は長崎中央公園で静態保存。
後年、管理者が鉄道には全く知識のない人にあたったのでしょう。ネームプレートは妙な字体の物に付け替えられ、各部部品の塗装も珍奇な色にされ、部品も欠品ありで放置。
決して良好な保存状態ではありませんでしたが、まだあるだけで良し、でした。
ところが、管理する行政のご都合で、保存できる状況であったにもかかわらず、解体されてしまったようです。 ほんの最近、今年の4月のこと。。。
覆水盆に返らず。。。 もう、どうにもなりません。
私は蒸機現役時代、撮影のために3回九州に行っていますが、昭和46年(1971年)3月に、人吉区でこの100号機を撮影しています。
100号という切のいい車番で、製造銘板も日立の大版、人吉「人」の砲金鋳造製区名標、煙突に残るかもめ牽引機の証、2本の飾り帯、そして何よりK-7タイプの小倉工場型門デフ。 これぞ九州のシゴナナ、という美しさに、私はずっと見入っていたことを思い出します。
九州のカマは手入れが行き届いて綺麗だと、当時の鉄道ファンの間ではよく言われていました。私が撮影していた時も、出区を控えてカマの整備に余念がない機関士が、手を休めることなく動いていました。
美しき九州のパシフィック C57100号機
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